№1013 事務用品   

 事務用品は当時は頻繁に使用していたが、現在は余り使用しない物。反対に当時はほとんど使われていなかった物と種々である。中には今の人が見ても何の目的に使っていたのか、不思議に思われる物もある。

事務用紙等
 現在はA版が殆どであるが、すべてB版であった。現在はA4番が多いいが当時はB5番が多く、B版からA版に変わった時は違和感があり当分戸惑ったものである。
 
 現在は普通紙が大半であるが、当時は美濃紙をよく使用していた。この紙は透かせば反対側が見えそうな、薄い上質紙であった。現在は複写が必要であればコピー機で簡単に何枚も複写できるが当時は手軽に使用できるコピー機は無かった。美濃紙と美濃紙の間にカーボン紙を挟み、その上からボールペンで強く書き複写していた。二・三枚の複写なら問題ないが、5・6枚となると下の方はいくら力を入れて書いても、下の方は滲んだように読みにくかったものである。

 奉書紙は障子紙を長くしたような紙を丸めたものと、折りたたんだような紙もあった。現在よくつかわれるのは、格式ばった開会式等の挨拶状に使われることが多い。筆記は筆と墨で仰々しく読み上げられていた。
 この紙は風呂町時代から公文書でよく使用していた。御上の命令の意味で「奉」の字があてられていた。

筆記具
 鉛筆やボールペンを使うこともあったが、主に付けペンでインクを使っていた。筆記具の先にペン先が付けられ、インクが無くなりそうになるとインク壺のインクに浸していた。普通のペン先でなくガラスペンを使うこともあった。ペン先がガラスでできており、金属のペン先より滑らかに書くことが出来た。ただしガラスでできているので慎重に取り扱わないと、ペン先が割れることもあった。

 中には得意そうに万年筆を使用する者もあった。これは私物で中にインクカートリッジが入っており度々インクに浸す必要もなく便利であったが、万年筆を使う者は僅かであった。

 鉛筆は大切に使い、短くなって持ちにくくなったら専用の継ぎ手を足していた。ボールペンはインクが無くなると、空の芯を出納室の用途係に持って行って新しい芯と交換してもらった。

 現在は大きな見出し等はパソコンを使えば、書体・大きさ・間隔等も自由j材に表示できるが、当時は少し大きい字は筆と墨で書いていた。保管書類委は重ねて千枚通しで穴をあけて和紙をこより状の紐にしたもので、表表紙・背表紙・裏表紙を閉じて冊子のようにしていた。これらの保管文書は背表紙等に墨書きで表示していた。
 このこよりじょうの紙紐は「もっとい」と称していたが「元結(もとゆい)」が語源らしい。
今の若い人には分からないかもしれないが、事務用品の一つとして常時使われていた。
 
 現在はあまり使われない墨と筆であるが、当時は日常の事務で使用していた。年配の人は墨と筆は使い慣れて居られ立派な書を書いておられたが、我々は人に見られると恥ずかしいような字であったので、滅多に墨と筆で書くことはなく書の上手な人に書いてもらっていた。

# by hirosan_kimura | 2025-02-02 10:15 | Comments(0)

№1012 年金未加入者への加入促進   

 日本の年金制度は明治18年(150年前)に海軍退隠令による制度発足から、陸軍軍人への適用、公務員・教職員・警察官へと拡大された。民間人では昭和14年に軍事物資を運搬する船員保険と広げられた。さらに昭和16年に労働者年金制度が設けられたが、対象は男性のみであった。

 昭和36年に国民年金法の制定により、自営業者・農業従事者等も対象となり、これにより20歳から60歳までの全日本人は何らかの年金に加入することとされた。ただし配偶者が厚生年金等に加入している専業主婦、20歳以上の学生は任意加入とされた。
 また高齢者は納付期間を満たすことが出来ないので、70歳から福祉年金が支給されることとなった。制度発足時から年金を納付しても要件を満たない高齢者には暫定措置が設けられ、最低10年の納付があれば拠出年金が支給される特例があった。

 福祉年金と拠出年金との違いは、拠出年金は一定の年齢に到達すれば無条件に年金が支給された。福祉年金は支給年齢が70歳。本人か扶養義務者には所得制限がある。年金額は拠出年金と比較すると低額であった。

 自営業者・農業従事者等全員には長年の念願がやっと叶った制度であり、国や自治体・民間報道機関も制度の周知に努めた。このため年金への加入・保険料の納付にも関心が高まり加入率・納付率も順調であった。

 こうした中でも国や公務員に対する不信感など、強引に国民年金そのものに反対したり意図的に保険料を滞納する人もあった。また、ある組織は老後の生活を保障するのは国の責務であるので、強引に加入阻止・保険料の納付をしないように運動される場合もあった。

 大半の加入者が年金の必要性と理解してもらっていた。しかし、ごく一部の方でるが一筋縄では行かない方もあった。

 平素の業務に一段落した際、未加入者への加入促進を行っていた。今のように庁用車は無く町内を回るといえば交通手段は自転車か、徒歩で行っていた。その自転車も取り合いで、事前に予約しておくこともあった。自転車は速谷神社より上の上平良・原、宮内の畑口より奥は坂道で困難であった。

 未納者の督促はこれまで多くの人が説得しても困難な人のみで、行っても在宅でも玄関を開けてもらえなかったり、追い返されたり、二度と来るなと怒る人ばかりで訪問するのは暗い気持ちになるばかりであるが、それでも与えられた職務なのでと割り切っていた。

 加入促進に行く前から結果は分かった人ばかりであった。それでも会ってもくれなかった人が玄関を開けてくれたり、話を聞いて考えが変わるわけではないが話だけは聞こうなど言う人もたまにはあった。

 訪問してもけんもほろろであった人でも、「話だけは聞こう。」「国を信用するわけではないが、手ぶらで帰っても気の毒だから加入手続きだけはしよう。」「所属団体の手前、もろ手を挙げて賛同ではないが加入するが、所属団体の組織の人に知れないよう内緒にしてくれ。」などと、不承不承ではあっても嬉しかったものである。

 役場に帰って上司に報告すると「今まで頑なに拒否した人をよく了解させた。どのような手を使ったのか。よく頑張った。」などと褒めてもらうのも嬉しかったものである。

 後の話であるが、発足時の特例で10年納付で年金受給できる制度で初めての年金受給者が出た当時、任意であるが加入した高齢者と加入しなかった人で随分溝が出来たようである。加入しなかった高齢者よりは、加入拒否運動を勧めた組織の責任はどうであろうか。

 現在では無年金者は皆無に近いであろうが、法に決まった年金加入の阻止・保険料未払運動を強引に勧めた団体はどのような見解なのか聞いてみたいものである。

# by hirosan_kimura | 2025-01-31 11:03 | Comments(0)

№1011 国民年金滞納者への督促   

 平素の日常業務は報告書の作成、納入台帳消込、来客者の対応等々結構忙しかった。こうした中にも一段落することもあった。そういう時は、滞納者対応・未加入者の加入促進等を行っていた。各地区に年金を集金される方が有り大半は家庭の奥さんで、中に一名の消防職員が集金していた。今では公務員は兼職禁止となっているが、交代勤務で非番の日に集金業務に当たる余裕があったようである。後畑は年金加入者は僅かで専任の集金業務員は必要でなく、現地で農業か酪農家の若い男性がアルバイト的に集金をしておられた。滅多に役場に来られることも無かったが、当時は原への通路は谷沿いに急な細い歩行者用のみで、湯来・五日市経由でオートバイで来ておられた。
 
 このように年金集金には専任の集金人が居られたので、滞納者は比較的少なかった。しかし僅かの滞納者であったが一筋縄ではいかない方ばかりで、滞納督促に行っても支払う約束をしてもらうことは容易ではなかった。行っては断られ、二度と来るなと言われても根気よく空しい説得に行っていた。滞納者の大半はお金が無くて支払わないのでなく、行政に対する不満やその他の理由で滞納する人たちであった。

 断られても断られても、怒られて怒られても通っていると相手も根負けして、玄関払いでなく世間話をするようになる。その内相手は「以前督促に来た人は追い返したら二度と来なかった。支払いに納得はしていないが、あなたの執拗さに負けた。」など支払いの約束をしてもらえた場合はうれしかったものである。

 その場で未納金を貰えばよいが現金を取り扱う資格がないので、直ちに担当の集金人に連絡し集金に行ってもらっていた。

 根気よく説得し続ければ必ず了解してもらえるものではない。自分の考えに信念をを持っておられ誠意をもって対応しても解決しない例の方が多いものである。この場合は督促に行くの遠慮しておくが、将来に年金が受給できないか貰えても年金額が少額となるだけである。「後の後悔先に立たず。」である。

# by hirosan_kimura | 2025-01-27 11:06 | Comments(0)

№1010 あまり知られていない業務(2)   

 ある時、住民より阿品の田尻海岸に水死体が漂流しているとの通報が入った。急遽 上司の人と現場に行ってみると女性がうつぶせになった状態で漂っていた。顔は見えないが長い髪の毛が波でユラユラし、誠に見るに堪えないような状態であった。

 現場は調度、廿日市町と大野町との町境で、地域の人達が鼓ヶ浜(つつみがはま)と呼称する海岸で堤防から手を伸ばせば届きそうな海岸沿いであった。何故このように町境ぎりぎりに漂流しているのか不思議なくらいであった。と言うのも身元不明者の遺体処理は、発見された町村で行わなければならないからである。廿日市側にあるのと大野町側にあるのてでは後の作業が大違いであるからである。

 誰ともなく「潮の流れで大野町側に行くかもわからない。」とのことで暫く静観していたが、一向に動く気配がない。誰も見ていないので竹竿等で動かせて、大野側に移動させようかなどと不謹慎なことを言う者もあったが、そのような粗末なこともできないので、警察署に通報し廿日市町で対応したことがあった。様々な体験をしたが何故か忘れられない思い出の一つである。

 警察に通報するとお医者さんが来られて検死を行うが、現場で行う場合と警察署に搬送して行うこともあった。何故このように対応に差があるのか分からないが、明らかに死因が判明すれば現場で、より詳しく調べなければならない場合は警察署にで行っていたのかも分からない。当時、廿日市警察署では本庁の裏側に柔道や剣道を行う部屋があり、そこで検死を行っていた。検死される医師は警察署に近かった山田医院の先生であった。死体は大抵目を閉じているが、顔写真を撮影するのに目にガラスの義眼のようなものを入れていた。義眼を入れるとじっとこちらを見つめられるようになり、ゾッとしていたことを思い出す。

 山田先生は物腰の優しそうな先生であったが、手慣れた様子で死体をあちこち検査されるので「先生 死体を触って恐ろしくないのですか。」と聞くと、「死体は何にも悪さをしないので恐ろしくない。生きた人間の方が恐ろしい。」と言われたことが印象に残っている。

 住民課厚生係に在職したのは2年間のみであった。身元の分からない人の対応は直接自分の職務でなく、人手の足らないときのみ手伝っていたので上司の指示のまま動けばよかったが、一番若手と言うことで何かと手伝わされるので、この職場を移動したときはうれしかったことを思い出す。しかし五年半後に再びこの業務を担当することになったのも、運命のいたずらであろうか。役所では平素の業務と異なったことがあれば「特殊勤務手当」が付いた。当時の記憶ははっきりしないが、死体処理業務は一件300円か500円であった。お金の価値は当時とは比較できないが、いくらたくさんの手当てがあってもこのような体験はしたくないものである。

 在職中に若い職員にこの業務の話をすると「冗談でしょう」とか「本当にそんな仕事をしていたのか」と疑いの目で見られることが多かった。役所の中でも当時のことを知って居たり、体験した職員は殆どいなくなってしまった。遠い昔の体験である。

# by hirosan_kimura | 2025-01-26 11:26 | Comments(0)

№1009 余り知られていない業務   

 今では担当業務は分散化されているが、廿日市町入庁当時は職員も少なく各自、様々な業務を担当していた。その中に年に数件しかない業務であったが、たまに行き当たるととても辛い業務があった。それは身元の分からない遺体を扱うことであった。一応担当者は決まっていたが一人で対応するのは困難で、係の中で連携して当たっていた。とは言っても若い職員には経験を積ますためか、言いやすいのかは分からないが何かと言えば駆り出されていた。

 当時は福祉も充実していず、相談体制も整っていず自殺(自死)する人が絶えなかった。首吊り・汽車への飛び込み・水死・毒物等により人知れず亡くなる方が多かった。発見者より町へ連絡が入ると現場に行き、警察署に連絡し指示を仰ぐ。遺体を収容し検死が済めば遺体は町へ引き渡される。この文だけ見れば単純な作業に思えようが、その対応は種々で現場に行ったときは検死も済み、遺体を受け取るだけのこともあれば、遺体の収容から職員が行う場合もある。遺体の状態も様々で、水死体を海から引き揚げたり、列車による轢死体等様々である。

 当時は町内に葬儀業者もなく、すべて職員で行わなければならなかった。棺桶は何故か地御前農協が販売しており、検死の済んだ遺体は職員で棺桶に収めていた。遺体はある場所に土葬する場合が殆どであったが、遺族より身元の照会がある場合もあるので一晩は保管することが多かった。当時は町営火葬場もなく遺体を安置していたのは、役場庁舎の一角、玄関裏の人眼の付きにくい場所に安置していたが、棺桶の傍を通らないとトイレにも行けないので宿直の若い職員は気味悪がっていた。気の弱い職員はトイレに行くたびに誰かと一緒でないと恐ろしがるものもあった。

 長い役所勤務の中で様々な部署を経験したが、この業務は特に印象にに凝っている。今では通信手段も発達し異郷の地でひっそり亡くなられることも稀であろう。たとえこのようなことがあっても民間の葬儀業者に全て対応してもらえる。現在の職員がうらやましい限りである。次回でもう少し詳しく記したい。

# by hirosan_kimura | 2025-01-24 11:30 | Comments(0)