№900 廿日市ニュータウン   

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 阿品台ニュータウンは広島県が造成した団地で、廿日市の人口が大幅に急増しました。入居開始後、既に40年以上が経過しています。当時働き盛りの年配の方が多く入居され活気ある街となりましたが、今では高齢者の街となり、活力ある街造りに多くの課題が残されています。

 活力ある街づくりのためには多くの皆さんの知恵と、実行力が求められるのではないでしょうか。ここで今一度、廿日市ニュータウンの生い立ちを学習してみましょう。

昭和49年 (1974) 7月   阿品台の造成工事が着手されました。
昭和53年(1978)8月10日 県営住宅158戸の入居開始。同日団地内の路線バスが運行開始。
昭和54年 (1979)4月1日 「廿日市町立阿品台東小学校」が開校。「私立つくし幼稚園」が開園。
昭和55年 (1980)8月1日 「阿品公園」75,166㎡が完成。
昭和56年(1982)4月1日 「廿日市町立阿品台中学校」が開校。
昭和57年 (1982) 4月1日 「廿日市町立阿品台東保育園}が開園。
             阿品台~大野町青葉台間の山が掘削され、道路が貫通。
昭和58年 (1983) 4月1日 「広島県立廿日市西高等学校」が開校。「阿品台公民館」が開館。
             「廿日市町立阿品台西小学校」が開校。
昭和59年 (1984) 2月   廿日市ニュータウンのすべての工事が完了する。
昭和60年 (1985 )4月1日 「廿日市町立阿品台西保育園」が開園。
平成 2年 (1990)12月1日 「廿日市消防署西分署」が整備される。
平成12年(2000)4月1日 「日本赤十字広島看護大学」が開校

# by hirosan_kimura | 2022-06-25 09:32 | Comments(4)

№899 阿品地域の開拓が進む   

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 明治11年(1878年 144年昔)には、阿品新開が拓かれるなど開発が進んできました。明治18年(1885年)には、それまで宮内から阿品沿いに大野へと通じていた西国街道に変わって国道2号線が開通しました。

 大正11年(1992年)広島瓦斯電軌宮島線として西広島から草津間が開業し、大正11年(1925年)には、広島電鉄線が開通し阿品電停が設けられました。現在でもJR阿品駅(平成元年8月開業)前のナタリー跡地に大規模なマンション、大型店舗が出来るなど大きく様変わりしています。

 開業以来様々な電車が宮島線を走っていますが、今ではすでに引退し目に触れることはありませんg、時代の移り変わりが電車によっても感じられます。

 昭和6年(1931年 91年昔)に廃止された「広電新宮島駅」と鰆浜・厳島間連絡船乗場ですが、広電宮島線の終点は阿品にあり、今では宮島口から出ている連絡船は阿品から出発していたのです。皆さんご存知ですか。

 このように阿品の歴史から見ても、この地は由緒ある地だということがわかります。

# by hirosan_kimura | 2022-06-24 09:41 | Comments(0)

№898 今はなき思いでの遊園地「広島ナタリー」   

№898 今はなき思いでの遊園地「広島ナタリー」_e0125014_08584461.jpg
 遊園地は昭和49年4月に開園しましたが、平成8年3月末で閉鎖されました。この22年間で912万人の来園者があり、大きな賑わいを見せていました。

 遊園地には、当時東洋一の高さ65㍍の観覧車・海に突き出たジェットコースター・大型プールなどたくさんの遊具が整備されていました。

 冬場は屋外駐車場を利用してスケートリンクも開設され、賑わいを見せていました。

# by hirosan_kimura | 2022-06-23 09:04 | Comments(0)

№897 懐かしい阿品の谷   

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 阿品の昔はこのような風景でした。当時の写真を見て描きました。今から59年も前(昭和38年ごろ)の阿品二丁目の谷の風景です。

 いまでは住宅に埋めつくされていますが、当時の阿品では山際に農家が散在し、その大半は田畑でした。中央の田畑の中には三軒の民家があるのみでした。

 中央奥の山は、阿品台ニュータウン造成のため、山は削られ谷は埋め尽くされ、そして住宅が立ち並び、風景は一変しています。

 この風景から今の阿品台の姿を想像することが出来ますか。大変な変わりようですね。左側の山は、ふじタウン開発のため、やはり大きく変容しています。

 左端中央の田んぼの中に一軒家がありますが、今ではその家のすぐ前に「佐伯中央農協阿品支店」が建てられていました。このように大きく様変わりしている姿を感じていただくために描いてみました。



# by hirosan_kimura | 2022-06-22 08:45 | Comments(0)

№896 お上がり場   

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 この公園は、明治18年(1885年 137年昔)8月1日に宮島から広島に向かわれる途中、明治天皇がこの地に上陸されたのを記念して「お上がり場」と称されて造られたものです。

 右側の絵は松も青々としており、昭和50年代ごろまでは、地面に太陽の陽射しが届かない位松の枝が生い茂り、陽が当たらないので雑草も育たず、一面白い砂に覆われていました。

 真ん中の絵は、平成に入って急に松枯れが進み、由緒ある松の木もすべてが枯れてしまいました。

 左側の絵は、今から90年前に植えられた松も長年の風雪に耐えてきましたが痕跡もなくなり、今ではこのような姿になっています。

 阿品の歴史の1ページが消え去りました。 

# by hirosan_kimura | 2022-06-21 08:40 | Comments(0)