昭和49年の夏前のある日、MAさんと宿直業務を担当することになった。MAさんは7歳くらい年下であったが何故か気が合い親しくしていた。布団に入り眠れないまま時間を持て余し、世間話や仕事の話をしていたが何故かハワイの話になった。MAさんは親戚がハワイに居住しているとのことであった。地御前は昔から海外に移住した人が多く、親戚をたどれば誰か海外に住んでいるのは当たり前であった。我が家も父の姉家族がアメリカ西海岸に移住し、その後帰国したがいとこなどからアメリカの話をよく聞いていた。母親の親しかった同級生もハワイに居住しており、地御前小学校の同窓会などには何度か帰国し、同級生が集まり親交を深めていた。
小さかったころにはハワイの知人などからコーヒーや砂糖など送られていた。子どもなのでコーヒーは飲まないが砂糖は日本と違ってさらさらしていたのを思い出す。終戦後の物資の少ないころ地御前の子どもたちは、派手な子ども用のアロハシャツを着せられて走り回って遊んでいた。現在のような薄い生地でなくごわごわしていたような記憶がある。
現在では学生でも気軽に外国旅行に行くが、当時は外国旅行は一部の者が行くもので庶民には夢のような話であった。雑談をしているうちにハワイに行ってみようかと言う話になった。最初は冗談話のようであったが、真剣に検討してみようかと言うことになったが実現するとは思っていなかった。その後ことあるごとにこの話となり、MAさんと仲良しのMYさんとの三人で行こうと具体的な話になった。一番心配なのは言葉の問題で、英語は学校で習ったくらいで通常の会話も苦手同士であった。食べ物も心配で三度三度和食しか食べなれていないので、気が重かったが何とかなるだろうと言うことにした。当時は役所でも外国旅行の経験者は殆ど無く、ハワイに行くと公表すると皆びっくりしていた。またメンバーを見て不思議がられた。MA・MYさんは同年齢で仲が良かったが、年の離れた者が加わり不思議がられた。
8月24日土曜日は羽田空港近くのホテルに宿泊し、翌25日19時30分に空港集合。21時50分に離陸した。飛行機は初めてではないが、飛び立つまで緊張していた。航空会社はパンアメリカン航空であった。当時は世界有数の航空会社であったが、放漫営業で破綻し今は無い。旅客機は内装の壁紙が中国風模様が残されたままの中古機であったが、何もかも物珍しいばかりで落ち着かなかった。翌10時10分にホノルル空港着とあるが現地時間か日本時間か分からない。
当日はオアフ島観光でヌアヌパリ・パンチボールの丘・イオラニ宮殿・カメハメハ王像等定番の観光地を巡り,アラ・モアナホテルに宿泊している。
26日(月)終日ホノルルに滞在しワイキキ海岸で遊んだり散策する。夕方は市街地から少し離れたダイアモンドヘッド麓にあるMAさんの親戚に招待され夕食をごちそうになった。知らない家庭なので緊張したがとても気さくな方で、日本の話などで盛り上がり打ち解けることが出来た。洋風の食事ばかりでうんざりしていたが、手作りの日本食でもてなしていただき、久しぶりにおいしい食事を頂いた。
27日(火)終日ホノルルに滞在し、貸自転車で市内を地図を頼りに廻った。貸自転車は普通の大人用であったがとても高かった。ほかの二人は足が長いので何とか乗りこなしていた。こちらは足が短いので漕ぐのにとても難渋したが何とか、就いていくことが出来た。
午後は再びワイキキビーチで泳いだりして遊んだ。昼食や夕食は現地の食堂で食べたが、注文や支払いは片言の英語と身振りでもどかしい思いをしたが何とかなった。学校ではもう少し真面目に英語の勉強をしてよかったと後悔した。現在では携帯で翻訳できるが当時は無かった。
28日(水) ホノルル空港を小さな飛行機でカウアイ島に向かった。小さな島なのに驚くほど森林も多くワイルア川を小型船で周遊した。川の両岸は熱帯の植物がジャングルのように生い茂っていった。映画でも有名なシダの洞窟やワイメア峡谷を実際に見ることが出来て夢のようであった。川を引き返し海岸に出てポイプビーチと呼ばれる砂浜に行った。広いきれいな砂浜で海岸に椰子の木が茂りこれぞ南洋のビーチと感激した。ワイキキ海岸と違い泳いでいる人たちもまばらで天国にいるような心地であった。
最後に有名なココパームホテルに行った。このホテルは有名な映画「ブルーハワイ」のロケ地で富豪が良く泊まるホテルで庶民には縁のないホテルらしい。夕闇の中、現地の人による「松明の儀式」の勇壮な出し物も行われ二度と体験することも無く感激しっぱなしであった。
29日(木) ホノルル発12時
30日(金) 15時05分羽田着 18時25分東京発 あさかぜ1号寝台 6号車12番中段
31日(土) 7時 廿日市着
現地に宿泊したのは4泊のみであったが、生まれて初めての外国旅行で何もかも珍しく、一生忘れることのできない思い出である。
これまで一般職員で外国旅行に行くのは稀であったが、この旅行をきっかけに若い職員も連れだって外国旅行に頻繁に行くようになった。
*帰国後に121ドル52セントの外貨が残り、日本円36,334円に両替した。1ドル299円。