№915 阿品海岸の埋立   

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 現在、一般住宅・マンション・大型スーパーなどが建っている地は、勝手海で干潮時には広い干潟が広がっていた。この写真は昭和29年に撮影されたもので、現在ケアセンターが建っている付近から臨んだものである。今から70年くらい前の様子である。

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 この写真は昭和42・3年頃監視山より臨んだ埋立途中のものである。右側は現在のJR駅前付近であるが国道との間には調整池も残っている。左上が埋立中で阿品側は埋め立てが進んでいるが、田尻側は埋立が開始されていないようである。阿品陸橋は架かっていず、埋め立て用土砂運搬・工事車両は広電軌道に刈りの踏切を作ってダンプカー等が往来していた。

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 埋立が終了した昭和48年頃の状態である。この地は数年して「遊園地 広島ナタリー」が開園した。

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 上記写真と同時期に撮影されたもので、田尻山より遠望したものである。「遊園地広島ナタリー」が閉園した跡地にはたくさんのマンションが立ち並び風景は一変している。

# by hirosan_kimura | 2023-03-04 11:03 | Comments(0)

№914 変貌した地御前の風景   

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 この写真は阿品の人にとってはなじみが無かろうが古い地御前の風景である。地御前村の時代には阿品から見れば一番端の宮内村串戸に接する場所である。撮影年月日は不明であるが、今から100年以上前の風景と考えられる。写真の大部分は地御前村が占めているが、上部4分の1くらいは宮内村串戸の地域である

 見渡せる田畑の区画が整然としているが、海面を埋立てて干拓した新開地であるためである。開発された年代が異なっているが、金剛寺新開が完成したのが元禄8年(328年前)、扇新開が文化13年(207年前)に干拓工事に着工されている。

 中央を横切るのは現在のJR軌道で明治30年(126年前)山陽鉄道として開通している。この写真には写っていないが広電宮島線が大正14年(98年前)に地御前まで開通している。新国道は昭和6年(92年前)に完成した。

 山陽鉄道が広島から下関まで延長された際、地御前に停車場が設けられる計画であったが、地御前村では狭い土地に鉄道線路が通るなどとんでもないことで、まして停車場が出来れば広い面積を要するのでとんでもないことと村を挙げて大反対したが、結局村内を線路が通過し停留所は地御前駅を飛ばして宮島口に駅が設けられた。地御前に駅ができていれば宮島までの連絡船発着場が地御前港付近に設けられたであろう。

 戦前はこの地に「旭兵器廠」言われる軍需工場が設けられ、戦後には「日本綿麻」の工場になり沢山の従業員が働いていた。国道を挟んで「佐伯病院」が新設され後に「広島総合病院」となっている。

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 この写真は余り鮮明ではないが昭和39年4月(59年間)のもので、上記写真とほぼ同一場所の物である。一面に広がっていた田畑は無くなり建物で埋めつくされている。右端が広島総合病院であるが建物は全て新しくなっている。

# by hirosan_kimura | 2023-03-02 11:42 | Comments(0)

№913 埋立地での魚釣り   

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 写真は阿品三丁目の海岸での魚釣りの様子である。場所は現在マンションが立ち並んでいる付近である。

 撮影された年月日は不明であるが、昭和43年頃埋め立てられ昭和46年3月に国道からJRと広電を跨いだ陸橋が完成している。昭和49年4月23日にこの地に「遊園地 広島ナタリー」が開園している。遊園地の整備には一定の期間を要していると思われるので、この写真は昭和46・47年頃ではないかと推測される。

 単なる埋め立て地に、このようにたくさんの釣り人が同時に来るとは考えられないので、埋め立て完成からナタリーの工事が始る直前に、釣り人を募集し埋め立て地を一時的に開放したのかも分からない。

 釣果は伺い知れないが、スカイラインやカローラなどの約50年昔の車の様子が面白い。


# by hirosan_kimura | 2023-03-01 13:55 | Comments(0)

№912 地御前海水浴場   

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 昨年11月30日を最後にブログを新規に投稿していない。このため閲覧者も僅かで日々20名にも足らない。何か新しいネタは無いかと思案していて、先月24日に大野東市民センターであった「宮島線100周年」の講演を思いついた。興味深い話ばかりであったが、その中の一つに地御前と阿品東電停の間にあった「地御前海岸停留所」のはなしがあった。

 今では知る人も少なくなったが夏季限定で地御前神社の前に、海水浴客のための停留所が設けられていた。停留所と言ってもホームがあるのみで他の設備は無かったように思う。この停留所がいつ設けられていつ廃止されたかは分からないが、昭和30年代の終わりか40年代の初め頃廃止されたのではなかろうか。

 今では地御前神社の前の海岸が海水浴場であったとは知らない人の方が多いいのではないだろうか。夏休みになると山間部の学校の子どもたちが、臨海学校で地御前小学校の教室を良く利用していた。広島方面からはたくさんの家族連れで地御前海岸に広電宮島線を使って訪れて、臨時の「地御前海岸停留所」をりようしていた。
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 この写真は写された日付が分からないが、神社の前の広電宮島線や国道が開通していないので昭和6年以前90年以前に撮影されたものである。
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 この写真も写された日時は不明であるが、昭和40年代ではないかと推測される。右の鉄道会館は廃止され国道と砂浜の間には高い堤防が設けられ昔の面影は無い。

 阿品とは関係ないし季節外れの話題であるが掲載してみた。

# by hirosan_kimura | 2023-02-28 12:58 | Comments(0)

№911 広電と新国道の立体交差   

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 大正14年7月15日に、阿品から厳島間の連絡船航路が運航開始された。今から97年昔のことである。乗船場は鰆浜の火立岩の側に新設された。現在の阿品一丁目であるが、火立岩は西広島バイパス開通のため撤去されてしまった。
 当時の広電宮島線の終点は地御前停留所が終点のため、そこから連絡船乗場までは徒歩で行くか、宮島の旅館の自動車を利用していたそうである。
 翌大正15年7月15日には広電宮島線が連絡船乗船場まで延長され、広電宮島線を利用し宮島に渡る人の利便性が飛躍的に増した。阿品の広電駅は「新宮島駅」と命名されている。
 当時は現在の新国道は開通していなかった。明治12年に開通した旧国道のみで道幅僅か二間弱の所もあったが、阿品付近から地御前神社間は海を埋立てて旧国道を新設したため道幅は三間以上あったそうである。
 広電軌道は旧国道沿いに新設されたが、上図は現在広電と国道二号線が立体交差している付近で、並行しているのが旧国道である。右側の田畑のある場所には現在「エスティーム地御前マンション」が建っている。中央遠く見えるのが宮島であるが、この写真では判別しにくい。
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 この写真は上図とほぼ同じ位置から撮影したものであるが、広電と国道が立体交差している。電車を跨いでいる橋は「沖島橋」である。右側の坂道は元の旧国道が走っていた部分であるが、元は電車と並行していたが国道がかさあげされたため坂道となっている。この道は小学校時代毎日通学した道である。
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  この写真は昭和6年のものであるが、左下からカーブして上方に広電軌道があり、左端中央付近の建物は「広電新宮島停留所」。停留所左側付近より厳島に渡船する乗船場があった。「新宮島駅」から電車軌道が延びているが、この時点ではこの停留所が終点で宮島口までは開通していない。
 右側の削っている場所は新国道新設工事中である。広電と交差するため上り坂を削っているが、現在のような重機も無くすべて人力に頼るしかなく当時としては随分難工事であったようである。電車軌道と新国道工事の間を縦に走るのが、明治12年(今から143年前)に開通した旧国道である。
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 この写真は昭和7年(今から90年前)に五日市~阿品間に開通した新国道で、広電軌道と国道が交差場所である。交差部分から地御前神社までが下り坂となっている。この時点では国道は舗装されていず砂利道のままであった。国道が舗装されたのは四年後の昭和11年であった。
 橋の部分は当時とほとんど変わっていないが、右の山は削り取られマンションや福祉施設などが建てられ当時の面影は無い。

# by hirosan_kimura | 2022-11-30 11:53 | Comments(8)