平成20年12月13日第一回目を投稿して15年で916回目となった。阿品に限った記録であるが当初は手持ち資料もいくらかあり、何時までも続けられるとたかをくくっていたがだんだ手持ち資料も少なくなり、新しい材料を探すのに苦労するようになった。
その内、広島の千田町にある「県立文書館」「県立図書館」に通ったり、ネットで「国立国会図書館」などで新しい資料を探していた。他の人から提供して貰ったり、阿品を歩き回って探したりしたがその内いき詰まり何回も中止を考えた。その都度、休み休み良いから何とか続けて欲しいとの声に何とか頑張ってきたが、今回思い切って終了することを決断した。何とか1000回までと思ったが。無理をして回数にこだわっても中身のつまらないものになるばかりである。
こうした中、一番励みになるのはコメントをいれてもらうことである。一番最初に入ったコメントは初めて2週間くらいに入ったもので、このブログを偶然見にされた他県に住まわれる方で「25年前(今から40年くらい前)阿品台中学校に3年勤務し県外に転出したが、偶然このブログを目にして短い間であったが、阿品に縁があった頃を青春の一ページとして感慨深く思い出している」とあり、不思議な縁を感じたものである。
このブログを通して阿品の記録を残すことが出来たことより、コメントを通じてたくさんの人と縁が結ばれたこと、またこのことにより沢山の経験が出来たことは大きな成果となった。このブログが阿品台西小学校の教師の方に目に止まり、3年生の児童を対象に阿品の古い話を10年間くらい話に行っていたことがある。授業が住んでしばらくするとお礼の手紙が届けられるが楽しみであった。主に行っていたのは西小学校であったが、東小学校・阿品台中学校にも呼ばれたこともあった。犬の散歩で登校中の子どもに出会うと声を掛けてくれるようになった。
学校以外では、老人クラブ・高齢者サロンからも声が掛かるようになった。近年はコロナのため話に行くこともないが阿品地区では三丁目以外、阿品台では阿品台西や五丁目からも声が掛かったこともある。話すときは画像をスライドにして説明しているが免許証を返納してからは、プロジェクターやノートパソコン等の持参が難しいので断っているが、家まで車で迎えに行くから来て欲しいと言われる地区もあり、コロナが落ち着いたら何とかしようと思うが年齢のこともあり出来るだけ控えたい。
ブログが報道機関の目に止まり、NHK 中国 ケーブルテレビ等の取材を受けたのも良い経験であった。長期間、閲覧・コメント頂き有難うございました。終了と同時に閉鎖しようと思っていたが、投稿はともかくブログが閲覧できるよう残して欲しいと言われる方もあり、当面このままにしておこうと思う。時間に余裕のある方は№1から興味ある記事を覗いてください。