今まで経験したことも無い家屋評価業務に配置換えとなり二か月、いつまでも評価経験者の手を煩わす訳に行かず6月より実務に入ることが出来た。幸い家屋評価は単独で行くことはないので、不審な点があればその都度聞いて確認することが出来たのは幸いであった。
最初は評価でな新築家屋の見取り図を作図することから始めた。調査に出る前に本日調査する家の選考を行ったが、最初なので出来るだけ狭小・複雑な間取りでない家屋をえらんで貰った。
この二か月調査員に同行して、実物の家屋を見ながら作図の練習をしてきたので戸惑うことも無かったが、途中で不明な点があればその都度教えてもらいながら慣れていった。最初は簡易な間取りの家、一日の調査検家屋を少なめにしてもらっていたが、いつまでも甘える訳にも行かず通常の業務量を行っていった。
調査家屋数は、6月50軒・7月57軒・8月45軒・9月56軒・10月45軒・11月75軒・12月72軒と7か月で395軒の家屋調査を行った。このうち30%は当時新築ラッシュが続いていた「阿品台」が占めていた。家屋の規模によるが一軒当たり調査に要する時間は一時間弱程度要した。
一日で最大の調査件数は0世帯程度が限度であった。11・12月が他の月より調査件数が多いのは当年中に完成した家屋は12月末までに調査を終える必要があったからである。その代わり年の初めころは調査にほとんど回らず、前年中に調査した家屋の評価額の清算や固定資産税額の算出事務に追われた。
調査に訪問した家庭の大半は好意的であったが、中には行政に対する不信感を抱いている場合もあり説明に手間取る場合もあった。評価額が高すぎる・納得がいかないと申し立てて来られる場合もあったが、評価の方法や基準等を説明すればたいてい納得された。これは実際の建築費に比べて評価額が格段に低くなっているためである。どうしても納得されない場合は「再調査をに伺います。評価に伺ったときは時間も限られており見落としがあるかも分からない。ベテラン調査員が伺い、時間をかけて念入りに調査して算定させていただきます。」と回答すると大半の方は「結構です。」と言って引き下がられていた。
評価係に在職して三年間、千軒以上の新築家屋を訪問して様々な経験をした。印象に残っている家屋も限りない。ある寒い日に阿品台の新築住宅を伺ったとき、震えるような寒さの中 ほとんどの窓を開けておられたので「この寒いのに空気の入れ替えですか。」と尋ねると、「以前住んでいた時と比較するとこのくらいは寒い中に入らない。むしろ今日は暖かい日だ。」と言われた。以前は東広島に住んでおられたが、広島湾沿いは比較にならないくらい暖かいと言って居られたので不思議な思いが思いをして印象に残っている。
ある団地の新築住宅を伺ったとき、外観は完成しているのに室内は未完成で照明は一階の一か所のみ。内壁も未完成。その他建築途中のようであった。家の人の話によると「屋根・外壁・床等は完成しているが経費の関係で残りは自分が少しづつ手を入れる。少しの不自由を我慢すれば生活できる。照明も最低で懐中電灯で凌げる。」とのことであった。入浴が困るでしょうと聞くと、窓の外に丁度街灯がありその明かりで何とかなるとのことであった。いずれ内装等は行われるので各所未完成部分は家の人の了解の元、最低材料価格で評価したことがあった。
評価途中に建築確認未提出の増築現場が目についたので訪問したことがある。聞いてみると大工仕事に器用な人が自分で増築しているとのことであった。10平方メートル未満なので建築確認申請を出していないとのことであった。建築確認は別として評価は必要なので後日評価に伺うこととした。後日、その家の登録図を元に伺うと現況は大きく異なっていた。増築は数回にわたって行われていたが、建築確認申請が行われていないので見過ごしていたらしい。改めて現況見取り図を作成し、増築部分の工事年度を確認したが本人もどの部分を何年度に増築したかも不確かで思い出してもらいながら不確かな年度により評価した。
今では廃墟となっているが「のうが高原」はレジャー施設としてホテルをはじめ遊園地としてにぎわっていた。この一角に別荘用地が整備されたくさんの別荘が建てられていた。ある時ある別荘が新築され評価に行ったことがあった。高級な建物ではなかったが別荘に縁のない者にとっては、別荘の持ち主が羨ましかった。このレジャー施設は時代の波について行けずいつの間にか倒産してしまった。別荘を訪れる人も激減し、残された一角に高齢者の人が生活をしているとうわさに聞いたことがあった。たくさんあった別荘も朽ち果てて廃墟となったようである。
評価係の三年間で町内をくまなく知り尽くし、通り抜けたことのない道は殆ど無くなった。ただし宮園・四季が丘住宅は後年に造成されたので精通していない。後に様々な部署を経験したが町内の地理を知り尽くしていたことが大いに役立った。以前は本庁職員も現地に出向くことが多かったが、現在では机に座った業務ばかりとなっている。職員が驚くほど地域のことに疎くなっている。旧廿日市のことはある程度分かるが、合併後の地域は未知の地域ばかりである。