№1002 421倍になった廿日市   

 現在の廿日市市は旧廿日市市、旧廿日市町の名称を継承している。
 昭和31年9月に佐伯郡廿日市町・平良村・原村・宮内村・地御前村が合併し新廿日市町となった。
 
 元々の廿日市町は僅か1.16㎢と狭小な町であった。5ケ町村合併でも42.71㎢、昭和32年6月に観音村の一部が廿日市に編入され45.74㎢となった。
 その後、海面の埋立等で面積も広くなったが、平成15年の佐伯町・吉和村との合併で388㎢、平成17年の大野町・宮島町との合併で489.36㎢と県内でも有数の広い面積となった。
 
 廿日市市の市名の元となった「廿日市」の範囲を知る人も僅かとなった。旧字で「横小路」「後小路」「魚の棚」等聞けば「廿日市」は何処まで、何処から「平良村」と判別できたが、住居表示で新町名の設定によりこれらの旧字を知る者も少なくなってしまった。
 現在のJR廿日市駅・広電廿日市駅・廿日市保育園・マリア幼稚園・駅通りの三分の一くらいが「廿日市町」でなく「平良村」であったことを、旧市の職員でも知らない者もある。

 「廿日市市」の市名の元となった「廿日市」の面積は、昭和31年の町村合併で36倍となり、平成15年の合併で334倍。平成17年の大野町・宮島町の合併で421倍と信じられないくらい広大となった。

 旧廿日市町・市時代、職場の旅行等で県外の旅館に行った際、「甘日市役場御一行様」等、「廿」でなく「甘」の字。中には「二十日市役場御一行様」等の表示がされていた。むしろ「廿日市役場様」との表示があれば、ここは間違っていないと感心するくらいであった。他所の人に「廿日市」の位置を教えるのに「広島市の西隣です。」「宮島の対岸です。」などと説明していたが、宮島町と合併してから廿日市の知名度も随分と高くなった。

# by hirosan_kimura | 2025-01-03 14:16 | Comments(0)

№1001 やっと取り組む長年の懸案   

 新しい年が明け平成7年の元旦を迎えた。「一年の計は元旦にあり」と言われるが、長年の懸案にやっと取り組むこととなった。
 在職中に年下の職員と様々な昔の話をすることがあった。中には信じてもらえなかったり冗談だろうと受け取られることがたくさんあった。体験してきた者にとってはごく当たり前で、何でもないことでも若い人たちにから見れば、作り話か過大に誇張したように受け止められることが多かった。
 これらを含めて長年の職務の中で様々な経験をしてきた。これらは日常のさりげない出来事であったが、記録に残してはどうかの声もあった。
 若い職員との雑談の中で、退職後直ちに取り掛かり記録の表題は「役場 市役所 四十二年」とすると公表した。
 退職後暫くは「いつから取り掛かり、いつ発表するのか」と催促もあったが、いつのまにか忘れ去られてしまった。
 早いもので間もなく退職して二十年を迎えようとしている。この間、早く取り掛からねばと頭で常に気にかかっていたが、忙しさに紛れやっと取り組むこととなった。
 話題の内容に期待している人もあるが、守秘義務・プライバシー・その他、公表出来ない事項も多々あり、旧廿日市町・広域合併以前の廿日市市の職員が以外の方が読んでも面白くない中身であろう。いつまで続くか分からないが、感想・疑問・間違い等があれば、匿名で結構ですからコメント欄でご意見が頂ければ励みになります。

# by hirosan_kimura | 2025-01-01 14:30 | Comments(2)

№918 長年の閲覧、有難うございました   

 このブログは「阿品」限定の為、話題も限られており最近では長らく新規投稿もしていません。閲覧者も限られており何回も閉鎖を検討しましたが、「間隔はあいても良いから続けて欲しい。」「新規投稿が無くても良いから、過去に遡って閲覧できるよう残して欲しい。」との声もあり現在まで続けてきましたが、このままいつまでも続けるわけにも行かず、長年の念願である新しいブログに取り組むこととしました。
 「ふるさと 阿品 よもやま」で検索できるのは今月限りとします。今後、阿品に関して過去の記事を閲覧したい場合は「役場 市役所 四十二年」で検索し、「№1~№918」を開いてください。「№1001~」以降は阿品に関係ない内容で、閲覧しても関係者以外は面白くもないと思います。
 「ふるさと 阿品 よもやま」は今月限りで終了します。阿品に関係ある「火立岩」「お上がり場」「岩鏡神社」等で検索すると運が良ければ「旧ブログ」にたどり着けるかもわかりません。ブログを開いて一番張り合いがあるの「コメント」で意見を寄せていただくことです。今後とも意見・質問・感想等を寄せていただければ幸いです。
 引き続き「阿品 よもやま」の掲示板は毎月 初日に更新しています。阿品市民センターに寄られることがあったら是非、覗いてみてください。

# by hirosan_kimura | 2024-12-26 10:15 | Comments(2)

№917 コメント有難うございます。   

 久しぶりに開いてみると、ryohさんよりコメントが入っていました。すぐ返事をしようとしたのですが何故か返信がうまくいきません。あれこれいじってみたのですが駄目でした。なにしろ一年以上新規投稿していないのでどこかがおかしくなったのかもわかりません。秋祭りになると天狗の面をつけ派手な衣装を着て、竹の棒を振りかざしながら子どもたちを追い回していました。以前ほどではありませんがこの風習は引き継がれていますが、静かなもので形式的となっています。本来は大人がハナになり、若い女性を追いかけまわしていました。ハナになる方は酒を飲んで酔っ払っていて、無茶苦茶をしていました。追われる方は若い女性ばかりで、特に新婚の女性は目につけられ、ハナが來るとわかると押し入れなどに隠れて見つからないようにしていました。子どもたちは面白がってハナの行くところに付きまとっていました。楽しみのない当時のことで少々のいたずらには他の大人も見て見ぬふりをしていました。ある時、ハナが居なくなったと皆で大騒ぎで探していたら、酔っ払ったハナが畑の隅で熟睡していたこともありました。何かの根拠があってこのような行事が始まったのでしょうが、古いものはどんどんどん切り捨てられ寂しい限りです。返事が遅れて申し訳ありません。


# by hirosan_kimura | 2024-08-13 09:53 | その他 | Comments(0)

№916 「ふるさと 阿品 よもやま」最終回   

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 平成20年12月13日第一回目を投稿して15年で916回目となった。阿品に限った記録であるが当初は手持ち資料もいくらかあり、何時までも続けられるとたかをくくっていたがだんだ手持ち資料も少なくなり、新しい材料を探すのに苦労するようになった。

 その内、広島の千田町にある「県立文書館」「県立図書館」に通ったり、ネットで「国立国会図書館」などで新しい資料を探していた。他の人から提供して貰ったり、阿品を歩き回って探したりしたがその内いき詰まり何回も中止を考えた。その都度、休み休み良いから何とか続けて欲しいとの声に何とか頑張ってきたが、今回思い切って終了することを決断した。何とか1000回までと思ったが。無理をして回数にこだわっても中身のつまらないものになるばかりである。

 こうした中、一番励みになるのはコメントをいれてもらうことである。一番最初に入ったコメントは初めて2週間くらいに入ったもので、このブログを偶然見にされた他県に住まわれる方で「25年前(今から40年くらい前)阿品台中学校に3年勤務し県外に転出したが、偶然このブログを目にして短い間であったが、阿品に縁があった頃を青春の一ページとして感慨深く思い出している」とあり、不思議な縁を感じたものである。

 このブログを通して阿品の記録を残すことが出来たことより、コメントを通じてたくさんの人と縁が結ばれたこと、またこのことにより沢山の経験が出来たことは大きな成果となった。このブログが阿品台西小学校の教師の方に目に止まり、3年生の児童を対象に阿品の古い話を10年間くらい話に行っていたことがある。授業が住んでしばらくするとお礼の手紙が届けられるが楽しみであった。主に行っていたのは西小学校であったが、東小学校・阿品台中学校にも呼ばれたこともあった。犬の散歩で登校中の子どもに出会うと声を掛けてくれるようになった。

 学校以外では、老人クラブ・高齢者サロンからも声が掛かるようになった。近年はコロナのため話に行くこともないが阿品地区では三丁目以外、阿品台では阿品台西や五丁目からも声が掛かったこともある。話すときは画像をスライドにして説明しているが免許証を返納してからは、プロジェクターやノートパソコン等の持参が難しいので断っているが、家まで車で迎えに行くから来て欲しいと言われる地区もあり、コロナが落ち着いたら何とかしようと思うが年齢のこともあり出来るだけ控えたい。

 ブログが報道機関の目に止まり、NHK 中国 ケーブルテレビ等の取材を受けたのも良い経験であった。長期間、閲覧・コメント頂き有難うございました。終了と同時に閉鎖しようと思っていたが、投稿はともかくブログが閲覧できるよう残して欲しいと言われる方もあり、当面このままにしておこうと思う。時間に余裕のある方は№1から興味ある記事を覗いてください。


# by hirosan_kimura | 2023-03-07 13:03 | Comments(16)