№15 「カルバルト」
2008年 12月 27日
鉄道の下を潜り阿品の奥に入るガード下を、地元では「カルバルト」と呼んでいる。外国語の引用であろうが語源は分からない。
今では阿品の奥に入る道は鰆浜側・阿品台から武田団地経由・ふじタウンからと整備されているが、かつては自動車の通れる唯一の道路であった。
壁部分の沖側半分は石組み、奥側はコンクリート造りと中央から丁度半分部分で構造が異なっている。
石組み部分は明治30年(1897年)9月25日に、山陽鉄道の広島~徳山間が単線で開通したものである。コンクリート部分は昭和3年(1928年)6月27日に廿日市~宮島(宮島口)が複線化されたものである。
普段何気なく通っているが、鉄道の歴史が直接目で覗える面白い場所である。
この道は天井高が低く荷物を高く積んだ車は通れない。昔、他の地域から阿品に嫁入りする場合、少しでも高く嫁入り道具を積み、わざわざ入口前で荷物を降ろし車だけを通し、奥側でまた荷物を積み直して通ったそうである。
これで、この嫁入り道具は豪華で沢山あるということを自慢したのだそうである。子どもの頃、年寄りから聞いた話である。今はこんな馬鹿なことをする人は居ない。
それにしても「カルバルト」とは不思議な名称である。どなたか語源の分かる方はないであろうか。
12月29日 追記
コメント頂いた方により、「カルバルト」は「カルバート」と判明する。
「カルバート 暗渠(あんきょ)」 用水や排水のための水路が、道路・鉄道・堤防などの下に埋設されたもの。
# by hirosan_kimura | 2008-12-27 03:22 | その他 | Comments(4)