素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

<   2015年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

e0125014_11422681.jpg
宮島線延長・地鎮祭・祈願祭 大正十四年七月十六日 中国新聞

 既報の通り廣島瓦斯電軌株式会社は、郊外電車宮島線の第三延長工事廿日市~地御前間も竣工を告げ、愈々十五日から運転を開始すると同時に、二百五十人乗一艘・百五十人乗二艘の軽快な連絡船を新造し、地御前聖覧場(註 鰆浜の別称「№17地名鰆浜」参照)より宮島商船桟橋間の連絡航路を開始したが、之より先十四日同社では松本社長以下重役及社内幹部一同に、来賓として在廣新聞記者を招待し、廿日市駅前の仮祭壇で午後三時から新設線の地鎮祭を執行し、終了後神官同乗し地御前線及航路の平安を祈願しつつ、宮島に渡り厳島神社に於いて祈祷祭を挙げ、それより亀福別荘に於て、披露宴を張ったが宮島名物の優雅な宮島踊に主客共に夏の宵を興じた。

上掲写真
 左側 大正十四年七月十五日開通宮島航路の新宮島乗船場
 右側 大正十五年七月十五日開通広電宮島線新宮島停車場 宮島線の終点駅 上記中国新聞記事の一年後に開通。場所は現在の阿品一丁目 「広電阿品東」の東寄り約300m附近

e0125014_1143482.jpg宮島線連絡船小火を起す
大正十四年七月二十二日中国

 二十一日午前十時頃、廣島瓦電宮島線の宮島(新宮島)厳島間連絡船機関士○村○○郎操縦の第三宮島丸が、宮島(新宮島)桟橋抜錨間際に突然機関部のタブレーターから火を発し、機関室のデッキに燃え移ったが直ちに消し止めた。乗客も十名足らずであったので幸い怪我人も無く、損害軽微であった。

上図、左下に電車新宮島駅とあるがこの時点では地御前駅が終点で、新宮島には連絡船の乗船場のみあった。
by hirosan_kimura | 2015-04-23 13:05 | 交通 | Comments(0)

№707 地宮館2

e0125014_6352150.jpg
 「706 地宮館」を見た方より珍しい写真を提供していただいた。このような写真が残っていたとは思いもよらないことである。右下に「松本若次」撮影とあるが、地宮館を絵葉書にしたもので左上に「地御前海水浴場ト魚掛舟」とある。

 左の瓦ぶきの屋根が地宮館の建物で、後に国鉄の保養所となり昭和40年代頃までは残されていた。国鉄の職員のみでなく地域にも開放され、宴会や研修などで利用されていた。この建物の前に海にせり出したように「桟敷席」があった。これらの施設には覚えがあるが、中央より右側の施設には記憶がないので早くから取り壊されていたのかも分からない。

 ちなみにこの写真を提供して頂いた方の祖父が撮影者「松本若次」さんで、若次さんの奥さんは私の父の姉に当たる方である。
e0125014_636754.jpg
 この写真も「松本若次」さんが撮影され絵葉書にされたものである。管弦祭前にお宮前の砂浜を「お洲堀」をしている風景であるが、驚くほど沢山の人々が行事に参加しておられる。海岸沿いの「桟敷席」の様子も良く分かる。右下には浮き輪を持った海水着姿の子どもも見られる。
e0125014_6411526.jpg
 この写真は地御前出身で東京に在住して居られる方が、昭和44年1月に帰省された時に撮影されたものである。

 地宮館の建物で後に「鉄道会館」と呼ばれていた施設の様子が良く分かる。この建物は今では取り壊されて跡地にはどこかの会社の研修施設のような建物が建てられている。

 写真手前は暗くてよく分からないが、夏の海水浴シーズンのみ宮島線電車が停車していた「地御前海岸」臨時停車場である。小学校に登下校時にはいつも目にしていた懐かしい風景である。
by hirosan_kimura | 2015-04-20 07:23 | 娯楽 | Comments(0)

№706 地宮館

e0125014_1304586.jpg
 地御前の人と話しているとたまに「地宮館」と言う言葉が出て懐かしい思いをすることがある。「地宮館」は地御前神社前にあった海水浴場の施設で今は無い。昭和40年代頃までは堤防の上に桟敷の名残と思われるものや、国鉄の保養所に転用された施設が残されそこで何回か宴会をした記憶もある。

大正十四年七月十五日 中国新聞
「電車の開通と共に 十九日海水浴場開場
  地宮館は薄利主義 地御前村の一大発展」
 
 長汀曲浦に富んだ佐伯郡地御前村の海岸線は、到る所風光絶佳であるが就中(なかんずく)、地御前神社の鎮座します辺はその粋を集めている。奇岩怪石に富んだ沖山を隔てて、日本一の名勝厳島を呼べば答えんとする目睫の間(極めて接近している)に優雅な島影を海面に投げて、那沙美水道を剘して大小の那沙美島はその名の如き優麗なる姿をのぞかせて居る。

 尚忘れたように置かれて居る弁天島の背後には、能美及安芸の連山が緩やかな起伏を搖曳(ようえい)し、左方には宇品から江波及五日市までのんびりした海岸線を、一眸(いちぼう)の間に眺める事が出来る。この間の海の静かな海面を中国船路の汽船が走り、真帆片帆が浮ぶの情景は実に一幅の名画である。

 この風光絶佳とを劃して本年から海水浴場が新設せられ、来る十九日開場式を挙行し二十五日から愈々解放すると言うが、交通不便を以て久しく世に捨てられて居た同所も、今回の電車開通に依りては蓋し廣島附近随一の浴場として、賑盛を呈するに至るであろう。

 既に地御前神社境内の老杉鬱蒼と繁茂した海面に遠く一町余の遠浅を控え、然も天恵の防波堤沖山に擁せられ、渚には岩石貝殻の如き危険物がなく、小児婦女の海水浴も適当であると眼星をつけた広島市中島、竹屋、広瀬、袋町の各小学校及び市商、二中、被服支廠、専売局等の指定海水浴場として交渉を遂げている。
e0125014_1314982.jpg 
 尚同所には村内の名望家で製材業を営んでいる渡辺清太郎氏が、本管・別館・海面にかけ出し等で、総坪数百二十坪に工費二万五千円を投じて、地宮館と称する広壮な建物を新築し、浴客の便を計らんとして居る。

 背後の山で夕陽を避けて南面した同館は、常に涼風に見舞われて居る。新築の木の香も高く畳を初め料理用の什器一切も新しく気持ちが良いが何よりも喜ばしいのは、同館が沖の漁業者と契約して溌剌たる鮮魚を発動船で運び来り食膳に供すると言う事である。又同館には四十畳敷の大広間があり団体或いは宴会用にも充て、一般客室は旅宿用になって居るのもある。

 背後には約四千五百坪の芝生の空地があり、近くブランコ・テニスコート等も新設する計画がなって居り、貸ボートの設備もあって海水浴場としての設備には萬々遺漏がない同館は、一時的夏季のみの営業でないから社会奉仕的薄利を以て営業する方針にして居ると言う。

 因みに同浴場では新設電車地御前停留所より一丁足らずで達せられる。
by hirosan_kimura | 2015-04-17 14:25 | 娯楽 | Comments(4)
e0125014_11413414.jpg
 明治天皇妃の昭憲皇太后は傷病兵慰問のため、明治28年に広島を訪問して居られる。その際、日帰りで厳島を行啓されたが阿品の「お上がり場」より御乗船・御帰船されている。今から120年前のことである。当日の様子を広島に置かれていた大本営の「臨戦地日誌」より要約抜粋してみた。

御四月十二日
 皇后陛下は佐伯軍厳島に行啓あらせらる。是先、原郡蔵・小田清・伊集院弥彦・技手中川松次郎は厳島に。松井憲夫技手は佐伯郡阿品に、可児久成は佐伯郡草津村小泉甚右衛門宅に出張。各々諸般の事に従う。

 此日、陛下は御予定の如く午前第八時に行在所御出門。陸軍予備病院第一分院に行啓あらせられたる御列にて、西練兵場通り大手町一町目より右折し横町に。夫より中嶋本町、堺町・天満町より順次国道筋を佐伯郡草津村小泉甚右衛門宅に御着あらせらる。下田佐伯部長が迎え奉る。
 
 暫時御休憩の後,御出発され五海市、廿日市、地御前の町村を経て阿品に御着。仮設営の御休憩所に入られる。有地呉鎮守府司令長官此地に奉迎す。陛下は暫く御休憩の後、仮桟橋よりて差回しある第一呉丸に召させられ厳島に向かわれ、程なくして御召船は厳島東波止場に御着。鍋島県知事が此に迎え奉る。厳島・草津・廿日市各小学校職員生徒・赤十字社員・郡吏員・町村吏員等、濱通に奉迎す。

 陛下は仮設の船桟橋より鍋島知事の奉導にて御上陸。直ちに差回しの御馬車に召させらし北の町濱通、中の町濱通を御通、厳島神社に御参拝あらせらる。此間、神官奏楽す。終りて神社南口より再び御馬車に召させらし。御垣原南町より紅葉澗(たに)岩村平助宅に入らせたる。時に正午十二時。

 陛下は此処に於て御昼餐を御し玉ひ。暫時此所の風景を御覧あらせられし。此家御出発。再び御馬車に召され厳島神社回廊入口にて御下車。西回廊御巡覧終て西口より御馬車にて大願寺前より海岸通り西へ大元神社に成らせられ、尋て千畳閣麓に下車。御徒歩にて此閣御巡覧終て御笠濱通、御通。

 当初の御道筋を東波止場より御発船在らる。鍋島知事、埠に送り奉る。其他奉送の諸員、奉迎の時に異なることなし。午後第五時十五分阿品に御着く。御休憩所にて御小憩され此所御発。

 草津村小泉甚右衛門方に御小憩の後、御機嫌麗しく午後六時五十分、行在所に還啓あらせらるる。
e0125014_913963.jpg
e0125014_921666.jpg このブログを見た方より、草津の小泉酒造に明治天皇と皇太后が来られた記念碑が残されており、記念の絵葉書が発行されたと教えていただいた。絵葉書の左に「小泉本店」、右上に「明治天皇・昭憲皇太后 御聖跡」と記されている。
e0125014_931937.jpg

by hirosan_kimura | 2015-04-07 15:59 | 出来事事件 | Comments(0)