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[ 2009-02 -06 05:25 ]

慶長6年(1601年)頃、福島氏が「阿字名村」を検地した。字は4個(鰆浜 阿品 上田尻 下田尻)で高付面積は十二町であった。
検地は太閤検地の基準に沿って領内の総検地が実施された。村境を確定し村単位で行われ、貢租の基準となる村高を定めるために行われたものである。
村は検地帳に記載された名請人から年貢の収取にあたり、年貢上納の義務を負った。
太閤検地とは豊臣秀吉が行った全国的な検地で、それまでまちまちであった検地の方法や、計量の基準を全国的に一定にしたものである。
①6尺3寸(約191cm)を1間、1間四方を1歩、30歩を1畝、10畝を1反、10反を1町とした。
②田畑は1つごとに上・中・下・下々と等級を付ける。
③京枡を用いて、それぞれの等級の反当り標準収穫高(石盛)を定めた。
寛永15年(1638年)には阿品で地詰の丈量が行われている。調査は西端の田尻から行われ、阿品の谷は沿岸部の耕地から測量し、途中から鰆浜の谷へと行われた。阿品の残り部分が丈量されたのは、鰆浜の谷全体の測量終了後であった。
田 尻 田 23畝 畑 0畝
阿品汐入新開 田 80畝 畑 0畝
阿 品 田 607畝 畑 68畝
鰆 浜 田 379畝 畑 1畝