素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

カテゴリ:阿品( 13 )

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 JR阿品駅前付近は、明治12年(今から136年前)7月5日に旧国道の付替えに伴い、「阿品浜」の沖に「阿品新開」が築調されたものである。駅前が整備されるまでは国道より一段と低く田畑が広がっていたが大雨が続くとすぐに冠水するような土地であった。

 国道沿いには細長く調整池が広がり、青年団がぼらなどを放流し魚の養殖なども行われていた。この地域については今までこのブログ№377・№441・№460などで紹介してきたが、残念ながら鮮明な写真が見つからなかった。たまたま地御前の方が発行された地御前の歴史の冊子に、この地域の写真が掲載されていたが写真が小さいうえに他より複写したもので残念ながら鮮明とは言えない。

e0125014_1116252.jpg この冊子は130頁余で写真も数多く使用され特に移民関係の資料が詳しく紹介されている。この方は平成20年に地御前の史跡巡りに参加され、地御前に生れ育ちながら地御前のことを余りにも知らなかったこと、史跡巡りでは地御前以外に住んでおられる方が詳しい説明をしておられることに奮起して、地御前の歴史を勉強され5年の歳月をかけて一冊の本に纏められたそうである。
 折角の資料であるが広く多くの人に公表されないようであるが勿体ないことである。

 上の写真は、池洲(調整池)の水を抜いて養殖した魚を、青年団の人が捕獲をしている。捕獲した魚は売られ青年団の活動資金にしたそうである。

 池の左上に広がるのは畑で、畑の間と間は池のようになっておりいつも水が溜まっていた。子どもの頃にはこの池のような所で鮒をを釣ったり亀を捕まえたりしていた。水際には蒲が沢山生えており蒲の穂が実る頃にはこの穂でチャンバラごっこなどをして遊んだものである。国道側は畑が広がり、JR線路沿いには田圃が広がっていたような記憶が有る。

 上部右端はNAさん宅の藁屋根の家が見える。左端はNIさんの家で中央に見える家は比較的新しい家である。の写真が撮影されたのは昭和の初期らしいが、冊子の発行者の方に確認しても何かから複写したとのことである。どこかにこの写真の原本があるのであろうが、鮮明な写真を目にしたいものである。
by hirosan_kimura | 2015-07-03 11:28 | 阿品 | Comments(2)
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 国道二号線にそって地御前浜を宮島方面に向かうと、宮島線「地御前県病院前」停留所付近から道路はゆるいカービとなり、景色のよい御上がり場海水浴場を過ぎるところから山手を見ると、小さな開けた部落が見えはじめます。ここが阿品部落であって、家の割合に農地が広く、一見平和な農村を連想させます。

◎阿品のようす
 この部落には東と西に小さな谷川が流れていて、西を本谷と云いこの谷川が堆積した小さな三角州に部落が形成されています。今は山陽線や国道二号線が海岸沿いに走っているので、海へのみはらしが悪くなっていますが、そのため堤防の役目を果たし高波の心配をなくしています。

 それでも昔名残りの潮まわしが残っており、先年までは青年団の養魚池となっていました。南は海に面していますが谷川の働きは割合活発で、どんどん土砂を堆積しているので、浅海となり、いずれ近い日に埋め立てられることでしょう。

一、阿品の本谷の奥あたりに、「岩神」さんがあります。昭和二十五年の台風で社殿が倒れ、今はその附近の山に移されていますが、この神社の祭神が「アシナヅチ」と伝えられています。

 昔「高天が原」から出雲に来られ「ヤマタノオロチ」を退治された「スサノウノミコト」の伝説はよく聞きますが、そのときの姫「クシナダヒメ」の父親にあたる方で、土着の神で農耕の神とされていますが、その名前から「アジナ」になったというもの。

二、「アジナ」は葦でなでるという意味で、葦の生えていた所というもの。

三、昔弘法大師が諸国を廻られたとき、ここに来られて水を飲まれたところ、「味のない水だのう。」と云われたので「アジナ:になったという。

 以上三つの説が、土地の人に語りつがれています。

◎新しい阿品
 阿品も御多聞にもれず、東の丘に団地がつくられています。また宮島遊園地もあり、海水浴場と共に観光に役立っています。鉄工所も出来ていましたが、倒産し近代産業の複雑さをこの土地でも身を持って感じられます。

                         昭和41年 廿日市町広報より
by hirosan_kimura | 2015-03-26 11:34 | 阿品 | Comments(0)
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 阿品の昔を知らない人が見れば、この写真は何処の風景かと思うかも知れない。

 この写真は昭和38年(今から52年前)にJRトンネル付近から撮影した、阿品二丁目の谷の風景である。今では住宅に埋め尽くされているが、当時の阿品では山際に農家が散在しその他は大半が田畑であった。中央の田畑の中には3軒の民家が有るのみである。

 中央奥の山は阿品台ニュータウン造成の為、山が削られ谷が埋められ住宅が立ち並び、風景は一変している。左側の山はふじタウン開発の為、今では大きく変容している。

 中央を奥に伸びている道路が阿品の谷の主要道路であるが、位置は殆ど変っていないが拡幅され舗装されている。

 左端中央の田んぼの中に一軒家があるが、今ではその家のすぐ前に「佐伯中央農協阿品支店」が建てられている。

 比較の為、この写真と同じアングルで撮影しようとJRトンネル付近の山に登ってみたが、何十年も人が入らない山は荒れ果て木々が生い茂り、残念ながら同じ構図の現在の写真を撮影できなかった。

 この写真とほぼ同じ場所より撮影した写真も持っていたが、小さな写真でピントもはっきりせず白黒写真である。この写真はカラーでもあり貴重な写真であろう。
by hirosan_kimura | 2015-02-07 11:27 | 阿品 | Comments(4)

№664 JR阿品駅前

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 平成元年8月に開業したJR阿品駅前に、ガソリンスタンドとパチンコ店が営業を開始した。しかし数年前にガソリンスタンドが閉鎖され、パチンコ店のみが残り空き地のみが目立っていた。

 昨日、空き地の一角にディスカウントショップが開業した。都市中であれば店が一店開業しようが閉店しようが話題にもならないだろうが、田舎の阿品では新店の開業は久し振りで、新築工事中からどんな店が出来るのか話題になっていた。

e0125014_1152316.jpg この店の開店により近隣の者は便利となり、寂しい駅前広場が少しは人通りも出るかも分からない。しかし余り遠くない場所にある既存のドラッグストアーや、すぐ近くの大型スーパー内にある薬店は大きな打撃をうけるかも分からない。

 新しい店がオープンし賑わいが増すことは結構なことであるが、集客人口の限られた狭い阿品の中に競合店が進出し共倒れにならないのか心配である。

 それでなくても来年春には市役所近くに超大型スーパーが開業し、阿品のスーパーも大きな打撃を受けることが予測されている。
by hirosan_kimura | 2014-11-23 08:50 | 阿品 | Comments(0)
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e0125014_10512637.jpg パチンコ店しかなかったJR阿品駅前に先月頃より建物を建設する工事が始まっている。ドラッグストアーが新規開店するようで、11月に完成予定である。
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 現在のJR駅前附近は元々海面であったが、旧国道を新設するため現在のJR線路沖が埋め立てられたもので、明治12年7月5日に汐止めが行なわれ総面積38反に2畝余の「阿品新開」が築調されたものである。

 この新開は国道堤防敷きより一段低くなっており田畑の中には水路が張巡りされていた。子どもの頃にはこの水路で鮒や亀などを獲ってよく遊んでいたものである。中央の三角部分が「阿品新開」で現在のJR駅前である。
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 昭和30年代の終りごろから昭和40年代ごろには現在の駅舎前辺りの田畑が埋め立てられ、「樋口工業」の鉄工所の建物が建てられ営業していたがいつの間にか廃業された。
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 この写真は鮮明でないのではっきりとは見えないが、左上の海面の埋立が行なわれている。この部分は現在の阿品三丁目鼓ケ浜で昭和41年10月に埋立工事が着手された。阿品新開の田畑は殆ど埋められ、国道と新開の間には調整池を見ることが出来る。
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 中央は昭和46年3月に完成した「阿品陸橋」である。この写真では見えないが現在のマンション前向かい側国道沿いにはドライブイン「サウナ新宮島」も営業していた。またテニスコートも何面かあった。
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 「JR阿品駅」が開業した当時は駅前も整備されていず駅前には土砂が山盛りされたり、周辺道路も整備されていず陸橋を下るとすぐ右折し国道に出入りしていた。広場と国道の間には調整値の名残が残されたままである。
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 駅前広場も整地され、陸橋を降りてすぐに右折し国道に向かっていた道路も東に側に延長され迂回するようになっている。国道を挟んで向かい側にあった遊園地「広島ナタリー」は平成8年3月に閉園している。
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 駅前広場国道沿いにあったガソリンスタンドは一昨年に廃業し撤去された。
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 ガソリンスタンド跡地は現在駐車場として利用されている。
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 広場の右手にはパチンコ店が開業し、国道向かい側のナタリー跡にはマンションが立並び駅周辺の風景も大きく変容している。
by hirosan_kimura | 2014-08-18 12:15 | 阿品 | Comments(2)
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◎「道ゆきぶり」
 千三百七十一年の南北朝時代、北朝の勢力を拡大するため、今川了俊が九州探題に任命されました。了俊は武家勢力を扶植しつつ南下しましたが、地御前神社の前を通り、阿品を経て中山に越したと記しています。阿品の本谷を奥へはいると、大野の中山や更地に越す峠があります。今から六百年前今川了俊は日記紀行を書きながら阿品を通ったことが「道ゆきぶり」に記されています。
№6・№7・№39・№582参照

◎「ハミの首」の伝説
 この峠にさしかかるところに、教え地蔵がありますがこの道をしらしまた素朴な信仰がうかがえます。
 この附近に「ハミの首」というところがありますが、つぎのような伝説が残っています、
 「昔このあたりよりニ町奥に大きな岩があり、ある時の春の田植時にこの大岩の附近で早乙女がおおきな蛇を見つけ、騒いで追い出し石を投げつけて殺したところ、その蛇はジャコウの香りをはっした。これをとるために能美島の者が、土までこさげて持ち帰った。」
№53参照

◎古墳の発見
 「ハミの首」は長い尾根が続き、その先端が丸く土盛りがしてあるので蛇の頭に似ています。この先端の土盛りが先年古墳ということがわかり、阿品積石塚と命名されました、千二百年昔のもので、阿品の歴史の古きを物語っています。
 おそらく阿品を開拓した祖先の墓で、一ばん大切な谷川の谷頭につくり、水利権の主張を物語っているように感じられます。
№57・№364参照

◎新しい阿品
 阿品も御多聞にもれず、東の丘に団地がつくられています。また宮島遊園地もあり、海水浴場と共に観光に役立っています。鉄工所も出来ていましたが、倒産した近代産業の複雑さをこの土地でも身を持って感じられます。
№122・№134参照」
by hirosan_kimura | 2014-01-12 07:13 | 阿品 | Comments(0)
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 №22で阿品部落を紹介した。これは地御前村時代の村広報誌に紹介されたものである。昭和31年に廿日市町と合併して村は無くなったが、この記事は昭和41年7月号の「廿日市広報」で紹介された阿品部落である。

阿品
 国道二号線にそって地御前浜を宮島方面に向かうと、宮島線「地御前病院前」停留所付近から道路はゆるいカーブとなり、景色のよい御上がり場海水浴場を過ぎるころから山手を見ると、小さな開けた部落が見えはじめます。ここが阿品部落であって、家の割合に農地が広く、一見平和な農村を連想させます。

◎阿品のようす
 この部落には東と西に小さな谷川が流れてうて、西を本谷と云いこの谷川が堆積した小さな三角州に部落が形成されています。今は山陽線や国道二号線が海岸沿いに走っているので海へのみはらしが悪くなっていますが、そのため堤防の役目を果たし高波の心配をなくしています。

 それでも昔名残の潮まわしが残っており、先年までは青年団の養魚場となっていました。南は海に面していますが谷川の働きは割合活発で、どんどん土砂を堆積しているので、浅海となり、いずれ近い日に埋め立てされるだろうことが予想されています。

◎阿品の名のおこり
一 阿品の本谷の奥あたりに、「岩神」さんがあります。昭和二十五年の台風で社殿が倒れ、今はその付近の山に移されていますがこの神社の祭神が「アシナツチ」と伝えられています。昔「高が天原」から出雲に来られ「ヤマタノオロチ」を退治された「スサノオノミコト」の伝説はよく聞きますが、そのときの姫「クシナダヒメ」の父親にあたる方で、土着の神で農耕のかみとされていますが、その名前から「アジナ」になったというもの。

ニ 「アジナ」は葦でなでるという意味で、葦の生えていた所というもの。

三 昔弘法大師が諸国を廻られたとき、ここの来られて水を飲まれたところ、「味のない水だのう。」と云われたので「アジナ」になったという。

 以上三つの説が、土地の人に語りつがれています。
№16参照
by hirosan_kimura | 2014-01-11 07:17 | 阿品 | Comments(0)
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 ニュータウンが造成される前の阿品は幾つもの谷が枝分かれし、谷の奥まで耕され田畑があった。

 岩鏡神社側の谷は奥まで続いていたが、右側の谷は余り奥まで続いていなかった。上の写真は右側の谷で今から50年程度昔の写真である。

 家が二軒見えるが、右側の家はこの写真の少し前までは藁屋が残っていたが、取り壊され納屋のような建物となっている。

 中央に見える家も取り壊されているが、一部のみ今でも残っている。左側家の谷の少し奥に阿品の古い墓地があったが、ニュータウン造成の際ふじタウンの一角に移転している。

 右側の納屋の建っている場所には母の実家があったので、小さい頃は良く行っていた。田畑の周りや付近の山などでかけりまわって遊んでいたので、この写真をみると懐かしい思い出がたくさんある。
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 上の写真とほぼ同一角度で撮影した現在の風景である。

 二軒しか無かった家の周囲には新しい家が十数軒立並び、山の麓まで見通せなくなっている。

 正面裏の山の上は、ニュータウンが造成され自然の山は無くなり、法面に僅かに昔の面影が残っているのみである。

 右側の小道も拡幅され舗装されている。

 何もかも変わってしまったが、唯一変わっていないのは手前の田圃のみである。
by hirosan_kimura | 2012-04-21 10:59 | 阿品 | Comments(0)

№348 阿品の春

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 昨日は何か変わったものは見つからないかと、阿品の谷を歩いてみた。阿品の谷の一番奥に今から30数年前に植えられた枝垂桜の様子を見に行って見た。

 まだ蕾かと思っていたが、満開とまでは行かないが、6~7分咲きで見ごろを迎えている。車も2~3台止まっており見物するお年寄りや、桜の絵をスケッチしておられる人も見受けられた。

e0125014_9392551.jpg以前には見られなかった、立派な標柱も設置してある。

 桜の下では地元の高齢者の人が酒盛りをしておられる。じろじろ見ても悪いので早く切り上げようとしていると、その中の一人に見つかり酒を一緒に飲もうと勧められた。

 最初は遠慮をしていたが、余り断るのも悪いのでビールや焼酎を頂いた。昔から住んでおられる人、後に阿品に越して来られた人もあるが、阿品の話しに花が咲き楽しいひと時を過ごすことが出来た。

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 阿品は団地の開発や、田畑を埋め立てての住宅化で昔の面影はほとんど無くなった。

 その中でJR阿品駅から川沿いに奥に入る道は、田畑も僅かながら残されている。ひじタウウンの下の崖も昔のままに残っている部分もあり、数少ない自然が残されている。

 崖下に桜と山椿が咲いていたが、椿の赤と桜のピンク色のコントラストが美しかった。

 間もなく山つつじの花も咲き、一層華やかになることだろう。
by hirosan_kimura | 2010-03-20 09:47 | 阿品 | Comments(0)
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 上の写真は昭和39年5月に撮影された、今から四十数年前の阿品駅前の写真である。国道の高さより一段低くなっており、大雨が続くと水に漬かる湿地のような土地であった。

 上方には「樋口工業」と言う鉄工所があった。手前半分は田畑があった。

 右側中央当りの山は今では「ふじタウン」が造成されている。

 その左、海に突き出た半島ような山は、厳島合戦の際 毛利元就が、この山鼻と対岸の厳島に大縄を渡し、その縄を伝って渡船したとの言い伝えがある場所である。

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 下の写真は上とほぼ同じ場所の写真である。古い写真の撮影された場所は雑木が生い茂り、同じアングルで写すことは出来ない。

 駅前は国道と同じ高さに埋立てられ、大きく変容している。

 JR阿品駅が新設され、駅前広場も整備されている。ふじタウン、阿品三丁目に行く陸橋も架けられている。

 広電線路の沖側の海面は埋立てられ、住宅地やマンション・大型商業施設が建っている。

 かつては山に遮られ見えなかった宮島口方面も見渡すことが出来る。

 45年経過して、阿品駅前、海岸線とも大きく変わった。ただひとつ変わらないのは、対岸の宮島の山の姿のみである。昔の人が今の阿品を見るとビックリするであろう。
by hirosan_kimura | 2009-05-07 04:14 | 阿品 | Comments(0)