№82 厳島合戦(5)   

№82 厳島合戦(5)_e0125014_14112526.jpg 毛利軍は一気に急峻な博打尾を越え、陶軍の塔ノ岡目指して攻め下って行った。暴風雨で油断していた陶軍は背後から急襲され、驚愕狼狽 完全に浮き足立って逃げ惑うばかり、ついに陶晴賢は追い詰められ、高安ケ原で自刀し果てた。

 こうして阿品・厳島を中心に戦われた「厳島合戦」は毛利軍の勝利のうちに終結した。

 これまでの記述は戦記物や、阿品の言い伝え等を記してきたが、戦記物は読者の気をひくため、作者が史実と異なった記述や、作者が作り上げた話も多く、どこまでが正しいものか分からない。地元の云い伝えも誤っているものもあるかも知れない。

 ここに記述したものも、数ある諸説の中の一つであり、信憑性も疑わしく事実とことなることは十分考えられる。

 この記述は火立岩から出陣したとしているが、歴史家の中には串戸沖から出陣した説、草津沖から出陣した説を唱える者もある。

 軍勢も毛利軍の4千人はともかく、陶軍の2万人は誇張で1万人に満たず、せいぜい7千人から8千人が正しいとの説もある。

 田尻の運勝の鼻から厳島まで、地元から集めた縄を綯いそれを伝って軍船を進めた説も、作り話と説く歴史家もある。

 しかし、地御前の漁業権が広いのは、阿品の人々が戦いに協力したので、毛利元就が褒美として、見渡す限りの海を地御前の漁業権として与えたとの言い伝えもあるそうである。

by hirosan_kimura | 2009-03-04 05:22 | 出来事事件 | Comments(0)

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