№81 厳島合戦(4)
2009年 03月 03日

櫓を漕がずに大縄を手探繰って、櫓音・声を忍ばせ軍船を進め厳島に押し渡った。
船団は闇を衝いて海上に出たが、風は横殴りの強風で波浪が荒く困難を極めたが、半途でようやく風雨が和いだ。渡航の作法はすべて軍令どおりで、戍刻(午後九時)になって元就の乗船した第一船が厳島包ケ浦に着いた。
到着するやいなや元就は、すぐさま海岸で篝火を焚かせた。その火を目印に全軍の上陸したのが、亥の刻(午後10時)であった。
全軍を攻撃位置に就けるに先立ち、元就は渡海に使用した兵船をすべて、夜の明けぬうちに対岸にことごとく引き戻さすよう命じた。
頭衆が「万一の用心に備えて、是非一艘だけでも残すように」と元就に云うも、一向に取り合わなかったとのことであった。
漕ぎ戻る船頭に元就は「船、地に着せば、地御前・阿品・大野・玖波表へ罷り出て、幾千とな篝火を焚くべしと相触れ申し通すべし」と云い含めたと云う。
阿品の海岸では、百姓が肥田子(肥桶)を数百並べこれに松明を括り付け、山々の峯々に篝火として焚き、陶軍に数千人の軍団がいるように見せかけたと云う。
by hirosan_kimura | 2009-03-03 04:11 | 出来事事件 | Comments(0)