№81 厳島合戦(4)   

№81 厳島合戦(4)_e0125014_1332581.jpg 渡海に当っては、田尻(今の阿品三丁目西端)の「運勝の岩鼻」に自然の波浪で出来た岩穴から、阿品の漁家から漁業用の縄を集めた物を束ねて大縄とし、これを繋いで縄を酒樽で浮かし、厳島の聖崎の岩まで渡したとの言い伝えがある。

 櫓を漕がずに大縄を手探繰って、櫓音・声を忍ばせ軍船を進め厳島に押し渡った。

 船団は闇を衝いて海上に出たが、風は横殴りの強風で波浪が荒く困難を極めたが、半途でようやく風雨が和いだ。渡航の作法はすべて軍令どおりで、戍刻(午後九時)になって元就の乗船した第一船が厳島包ケ浦に着いた。

 到着するやいなや元就は、すぐさま海岸で篝火を焚かせた。その火を目印に全軍の上陸したのが、亥の刻(午後10時)であった。

 全軍を攻撃位置に就けるに先立ち、元就は渡海に使用した兵船をすべて、夜の明けぬうちに対岸にことごとく引き戻さすよう命じた。

 頭衆が「万一の用心に備えて、是非一艘だけでも残すように」と元就に云うも、一向に取り合わなかったとのことであった。

 漕ぎ戻る船頭に元就は「船、地に着せば、地御前・阿品・大野・玖波表へ罷り出て、幾千とな篝火を焚くべしと相触れ申し通すべし」と云い含めたと云う。

 阿品の海岸では、百姓が肥田子(肥桶)を数百並べこれに松明を括り付け、山々の峯々に篝火として焚き、陶軍に数千人の軍団がいるように見せかけたと云う。

by hirosan_kimura | 2009-03-03 04:11 | 出来事事件 | Comments(0)

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