№79 厳島合戦(2)   

№79 厳島合戦(2)_e0125014_1834698.jpg 出陣間際になって渡海方法について、異議を唱える意見が出された。それは前日から時雨交じりの西風の強風が吹いているので、厳島に渡海するのに火立岩からより、串戸の方が良いというものであった。

 串戸から出せば追風であるが、火立岩からでは半分は向い風になると云うものであったが、元就は「串戸より船出すれば、敵方に見付けられる。」と火立岩からの出港を決行することとした。

 出陣に際して元就は、次のような指示を出した。すなわち人数は、出発に先立ち組ごとに名前書きして、船に組々の相印を立てておく。

 ほら貝を合図に、各組その相印ある船に乗り込み混雑を避けること。一度にどっと押し出さないよう、二十間・三十間の間隔を取って順番に押し出す。

 一夜陣のことであるから、将兵が腰に付けてある食料以外の兵粮は、船に積み込んではならないと云うものであった。

 また、船事法度として次の事が布告された。
一 渡海の船は、篝火一圓停止の事。
ニ 本船の桃灯(提灯)を目に掛け、此の火次第に諸勢乗るべき事。
三 船頭の外、高声禁制の事。

 全船に篝火を焚かず、元就の乗る本船にだけ一燈を用いて、他の船はこれを目標に航行せよ。掛け声・櫓拍子等は一切これを禁止すると云うものであった。

 七ツ時に食事が終ったあと、全軍に三日分の兵糧が配られた。兵糧は餅一袋・焼飯一袋、及び米一袋である。これを各人腰に付けるものである。

 また、搦め手攻撃の本隊には、山道を登らなければならないと云うことで、特に水筒の携帯が命ぜられた。その外侍も足軽もすべて襷を掛け手拭で鉢巻をし、各人柵の木一本、縄十尋づつ準備することを命じられた。

by hirosan_kimura | 2009-03-01 05:12 | 出来事事件 | Comments(0)

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