№70 岩鏡神社(1)
2009年 02月 20日

神社の名称が変わった「岩鏡神社」
岩鏡神社は阿品の氏神であるが、本来は「岩神社・磐神社(イワガミシャ) 岩神大権現(イワガミダイゴンゲン)」が正式名称であった。
大正7年に「佐伯郡史」が編集された際、阿品の習慣によって使われていた「鏡」と届けたため、それ以降「岩鏡神社(イワガミジンジャ)」が正式名称とされている。
祭神は「足摩乳命(アシナヅチノミコト)」と「手摩乳命(テナヅチノミコト)」である。例祭は旧暦6月7日であるが、現在では7月第ニ日曜日に行われている。
足摩乳命と手摩乳命は夫婦で、「足名椎・手名椎」とも表されている。その娘は奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)と云われる。櫛名田比売命とも表記される。
創建当時は、ふじタウウン崖下の阿品川が大きくカーブしている場所に祀ってあったが、昭和26年10月のルース台風の被害により神社の建物は跡形も無く壊滅した。昭和28年4月12日に移転改築され、現在は阿品の奥の丘の上に祀ってある。
残された資料も無く神社の創建は明らかでないが、崖に露出した岩(巨岩)を名付けたお宮であり、古い時代に神を祀った岩座(イワクラ)「神の御座所 いわさか」と推測される。
祭神は阿品に住み着いた遠い祖先が、出雲より阿品の地に移したとの言い伝えもあるが推測の域を出ない。
祭神のひとつ「足摩乳命」は出雲地方に祀られている「五穀豊穣」の神である。
旧神社の規模は明らかではないが、残された資料によると
惣周、百十八間。此坪、八百十九坪五分三厘八毛。
内五坪五分三厘八毛、正殿下。同五坪五分三厘八毛、拝殿下。
同八百八坪四分六厘二毛、山林。内境内外山林、一反ニ畝三分。
此代價四円。 無税地。険岨ニテ開墾ノ見込ミナシ。
立木
松 六尺廻以下 百九十三本。杦(すぎ) 四尺廻以下 八本。
樫 二尺廻以下 拾三本。楠 一尺廻以下 壱本。と記録されている。
建物の規模は小さかったが、敷地は現在と比較にならないくらい広かったことが伺える。
明治新政府は諸施策の財源とするため、境内地を除く不用官有地の売却を行ったが、岩神社も売却の対象とされ、境内外の山林一反ニ畝三分と、松・樫等215本を売却したとの記録が残されている。
上記の写真は旧神社のあった場所であるが、河川改修等でその地形は大きく変わっている。
by hirosan_kimura | 2009-02-20 04:34 | 神社 | Comments(0)