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by hirosan_kimura

№52 阿品は「秘境」?

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 阿品台中学校が開校するまで阿品の子ども達は、地御前小学校を卒業すると七尾中学校に通学していた。

 「廿日市市スポーツセンター サンチェリー」の麓にある中学校である。

 阿品からの通学には余りにも遠いので、阿品地域に限り電車通学が認められていた。旧阿品駅から乗車し宮内駅で降り、そこから歩いて田圃の中の道を通り七尾中学校へ毎日通学していた。

 七尾中学校は戦後の学制改革により新しく開校した学校である。

 旧廿日市町は単独で廿日市中学校を新設したが、財政規模の小さな村は単独での中学校を設置するのは困難で、複数の村で学校組合を設け共同で中学校をせざるを得なかった。

 当初、地御前村は単独で中学校を新設する計画であったため、宮内村・平良村・原村の三村で組合を作り、三村の中心に当る平良村に中学校を新設することとなった。

 その後、地御前村単独での新設は困難であり三村の組合に加入することになった。当初から地御前村が組合に加入していれば、四村の中心の宮内に中学校を建てる計画もあったと聞いたことがある。

 中学校に入学後、他村の子どもから「七尾中学校区には三ケ所の秘境がある。それは原村の後畑・宮内村の明石・地御前村の阿品である」と聞きショックを受けたことがある。

 後畑は極楽寺山の裏側の小さな部落で、当時は小学校の分校があった。中学校は余りにも遠いので,原や平良の親戚や知人宅に下宿する者もあった。

 原に出るには谷沿いの山道を歩くしかなかった。車は湯来側から五日市を廻り廿日市・原方面に行っていた。今はアルカディア温泉が整備され多くの人が訪れている。

 明石は宮内村の端で小学校の分校もあった。中学生はバスや自転車で七尾中学校まで通学していたらしい。この部落は佐伯方面に行く幹線道路沿いであり、今では住宅を新築し移り住む人もある。

 今では小学生同士のみで広島市に遊びに行くこともあるが、当時は自分の住んでいる地域から遠方に出掛けることも少なく、小学校入学前は阿品が行動範囲の全てであった。

 小学校に入学してからは自分の世界は少しは広がったが、それでも地御前村から外に出ることは稀であった。

 生活の全てが阿品を中心に廻っていると思っていたので、海に面し国道・国鉄も走り広電の駅もある阿品を、後畑・明石と同等に比べられて心外に思ったものである。

 それにしても「阿品が秘境」とはひどい話である。
by hirosan_kimura | 2009-02-02 03:26 | その他 | Comments(0)