№27 鰆浜の煉瓦工場
2009年 01月 08日
現在鰆浜の「藤和阿品ハイタウン」のマンションがある場所に、昔煉瓦製造工場があった。昭和40年代頃までは窯の高いエントツのみが残されていたが今は無い。
この工場は、明治28年に開設され大正14年頃閉鎖されたらしい。工場は「諏訪煉瓦製造所」で工場長は、諏訪坊太郎と言う人であった。
ある年の報告によると、職人は8名で日当は男60銭、女20銭、小人15銭であった。一日の労働時間は9時間、年間就業日数は357日。製造高 35万個。売上高 2,600円、煉瓦 一ケ7.5厘とある。
写真に「モ」「ウ」等あるが、意味は分からないが煉瓦に刻印したものだそうである。
出荷量は明治33年 10,380ケ 83円。明治35年 13,485ケ 1,79円。明治40年 450,000ケ 3,825円。 明治45年 250,000ケ 2,000円。大正5年 270,000ケ 2,295円。大正10年 80,000ケ 1,840円。大正13年 100,000ケ 2,100円とある。
陸軍兵器支廠一号館の建物は、鰆浜の煉瓦工場製の煉瓦が使われた。広島市の出汐町・皆実町附近には煉瓦の建物が残されているが、これは「元被服廠」の建物と聞いたことがある。「兵器廠」の建物は残っていないのであろうか。もし残っていれば鰆浜で製造された煉瓦であり、一度見てみたいものである。
昭和6年にはこの跡地に、広島市鈄屋(ちぎや)町にあった「吉田病院」の分院が開業されている。
県立工業高校付近に今でもレンガ倉庫がありますがそれかも ?