素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№24 十兵衛岩(じゅうべい)と伝説


e0125014_1332767.jpg「国郡志御用下子志らべ書出帖」より
「阿品山はなより凡百間程沖ニ、十兵衛岩と申ス磯砠有リ常ニ見へ不申候」

 今から何年昔のことか分からんが、阿品の沖へ行くとのー、だいたい四十間のぐらいのところの海の底へのー、大けな大けな岩があるんじゃいのー。

 昔も今も子どもちゅうもんは分からんもんじゃけえのー、その岩まで泳いで行っちゃー帰ったり、その岩に立って休んだりしていたものよ。

 ある年の夏のことじゃが、子どもが泳ぎよったらの、ひょこっと十兵衛が見えんようになったんじゃげな、「十兵衛がおらん」「十兵衛がおらん」と皆んな大さわぎになってしもーた。
 
 「どうも岩まで泳ぎにいきよって、おらんようになったらしいで」 子どもたちゃー急いで大人を呼びに行ったんよー。

 そうこうするうちに、大人も集まってきてのー。みんなで岩の近くを探しておったら、あんた、その岩の下にのー大けな大けな穴があるんじゃ。

 どうもその中がおかしい言うんで、もぐっていって調べてみたらのー、その中にのー、目の光ったいびせー怪物がおるんじゃー。

 大人が二人行って「ガンツキ」でついたりしてのー、とうとう引っ張り出したんじゃ。あんた、一体何じゃったと思いさるんかいのー、大けな大けな「たこ入道」じゃったんじゃげな。

 どうでも足が五尺ぐらいもあって、その足で十兵衛を引っ張り込んどったげな。十兵衛を抱えたまんま、一緒に揚がってきたげな。十兵衛は可哀そうに、はー死んどったげな。

 「まあ、なんちゅうても、大けなたこ入道じゃのー」「可哀そうに。十兵衛はたこ入道の足でしめ殺されたんでー」

 それからちゅうもんは、あの大けな岩を「十兵衛岩」ゆうようになったんよのー。今も十兵衛岩はあるし、その下にゃー大けな穴があるんで。ほいじゃけー 今、だれも近寄るもなーおらん。

 海の埋立により、今は十兵衛岩はみられない。海岸より岩までの距離が異なるのは、国鉄・国道・広電等で海が埋立てられる前と後で測定場所が違うため。
Commented by Hitoshi at 2009-01-05 18:33 x
おばあちゃんからはもう少し違った話しを聞きました。十兵衛岩の話しではないのかも知れませんが、見た目は悪いが実は名のある鍛冶が作った短刀と見た目がピカピカの駄作の短刀を商人に騙されて交換した漁師が岩の穴の奥にいた大蛸に捕まって死んでしまったという話しです。

 地御前の沖に日頃はないのに或る日、浅瀬があるのに気が付いた漁師が舟から降りて歩いてみたら、妙にヌルヌルするので注意深く見たら、大きなカレイの上だったという話しも聞きました。

また、田尻の浜は子供の頃は砂鉄で真っ黒で、お寺の鐘を作るのにその砂鉄を使ったという話しがあるそうです。

 宮島にはタタラ潟という地名と宮島で作られたと伝わる刀があると民族資料館で聞きました。
Commented by Hitoshi-2 at 2009-01-05 18:50 x
これは、記憶違いかも知れませんが、厳島の合戦のとき、地御前側と宮島側に綱をはって、櫂や艫の音をさせないで、毛利方が渡ったという伝承がありますね、地御前側は
火立て岩と言われているようですが、おばあさんは、ふじタウンから下りて来る陸橋の付け根(山陽線のすぐそば)にあった岩からと話してくれたと思います。
 漁協の組合長さんに聞いたのですが、その時の綱は地御前の網元が網や縄を提供したのを使ったので褒美として、見える範囲の漁場権をもらい、今でもそのまま権利があるので地御前の漁場は広いそうです。
Commented by hirosan_kimura at 2009-01-05 21:16
ありがとうございます。色々なはなしをお祖母さんから聞いているのですね。初めて聞く話ばかりです。別に記録しておきます。今後もコメントお願いします。広島の戦前の写真はすごいですね。その他、阿品に関する写真があったら教えてください。
by hirosan_kimura | 2009-01-05 11:59 | 伝説民話 | Comments(3)