№1048 厚生課福祉係   

 昭和38年に町役場に勤務した際は「住民課厚生係」と一係であったが、今回福祉関係に移動になると組織の見直しが行われ、厚生係が厚生課と格上げされていた。この頃から福祉関係事務が拡大していき、一課が福祉保健部へと大きな組織にと変わって行った。

 当時、厚生課の業務は老人福祉・児童福祉・障害者福祉・生活保護・国民年金・国民健康保険等の福祉関係と、保健衛生・廃棄物・火葬墓地関係等の保健衛生関係との二部門であった。

 五年半ぶりに厚生関係の担当になったが、以前は国民年金のみの所掌であった。その後様々な部署を担当した。しかし長い役所勤務の大半を福祉関係になるとは思いもよらないことで、後になって不思議な因縁を感じたものである。

 新しい所掌事務は障害者福祉・遺族援護法関係・児童母子・民生委員関係・献血事務等であった。現在では社会福祉協議会が担当している、心配事相談や各種団体へ補助金関係事務もあった。

 直接の事務を担当することは無かったが,課員も少なく生活保護や老人福祉関係の事務を手伝うことも多々あった。

 現在高齢者は増え続けているのに、老人クラブの会員数が伸び悩んでいるらしいが、当時は老人クラブの新規結成が国を挙げて取り組まれていた。廿日市でも新しい老人クラブが結成され、高齢者の担当はその対応に追われていた。忙しいときには担当者以外も応援することが良くあった。また、ゲートボールやグランドゴルフなどのスポーツの普及も図られていた。老人クラブのミカン狩りに能美島に付き添いで行ったこともあった。

 担当した業務は全て初めて体験する物ばかりであった。楽しい業務もあったが、援護法関係は法令も複雑で、旧軍人の身分一つとっても何が何だか頭を悩ますことが多かった。国民年金担当時代に行路死人の業務が苦になったことを記した。当時は直接の担当でなく上司の指示通リ動けばよかったが、今回は直接の担当になった。

 在任中に幾度かの体験をしたが、この業務はいくら経験しても対応に慣れるということは無かった。ただ一つ救われたのは昭和42年12月に町営火葬場「霊峯苑」が整備されていたことである。以前は変死があれば棺桶を購入し遺体の収容後、医師の検死が済むと遺体は町に引き渡されていた。時間が早ければ棺桶をある場所に埋葬を行うが、時間が遅ければ一旦遺体を役場に持ち帰り,翌日埋葬をを行っていた。遺体安置場所も無く役場の玄関わきの人目に付かないところに安置していた。こうした時は若い宿直職員が気味悪がり、厚生係職員に何とかしてほしいと苦情を言ってきたがどうしようも無い。

 火葬場が整備されてからは「死体安置所」も設けられ、時間を気にせず預かってもらうことが出来た。

 その他、たくさんの業務を経験できたが、特に印象に残る業務について印して行くこととしたい。

by hirosan_kimura | 2025-07-11 10:33 | Comments(0)

<< №1049 無縁墓地参拝 №1047 組織変更 >>