№1047 組織変更   

 昭和43年7月1日付けで「水道事務所給水係」に配置換えの辞令が出ている。当初は「水道事務所」のみの一係であったがその後、「業務係」「工務係」に分割され「工務係」内に水源管理として二名の職員が配置され、浄水場の管理全般を担い給配水操作関係と当直業務を行っていた。さらに企業会計の取入れにより組織の改編が行われ、「施設係」「財政係」「給水係」も設けられた

 水道事務所に配置になったころは、日直・宿直・量水器の検針業務・広い敷地の草抜き清掃を職員全体で行っていた頃のことを思うと、画期的な前進であった。それでも定期的に緩速濾過地の表面土砂削りや、その他 突発的な業務などは係を超えて協力し業務を推進していた。

 昭和44年1月1日付で、「主事に昇任させる 3等級に昇任させ1号給を支給する」の辞令書が豊田正夫町長名で出されている。

 60年近く昔のことなので思い違いもあるかもわからないが、当時は採用当初の職名に「雇」と言われるものがあった。この「雇」は新採用後半年間はこの身分で、半年後に「主事補」となり、その後「主事」「主任主事」「係長」「課長補佐」「課長」と昇進していった。現在では部制となり課長の上は「次長」「部長」となる。
 現在では分からないが退職直前には「政策監」「調整監」「担当○○」「主幹」「主査」「専門員」等、古い職員には何が何だか分からない職名もあった。

 現在の職員には理解できないが「雇」とは正式職員でもなく、臨時職員でもなく中途半端な立場のようであった。聞かされていたのは「雇」は正式職員でなくこの人物は真面目な人物か、仕事をこなす能力があるか半年間様子を見てこれならよかろうとなって、初めて正式に雇用される試雇機関だと言われたが良く分からなかった。「雇」期間中の成績が悪く半年後に解雇された例も耳にしたことも無かった。

 それにしても採用試験を受けて合格し「採用辞令」が出ているのに、試し期間中と言うのも理解しがたい制度であった。

 昭和45年10月1日には「本庁 厚生課 福祉係」への人事異動が出た。昭和40年に本庁より水道事務所への移動があった際は「晴天の霹靂」のような思いがしたものである。今では本庁以外の出先機関も沢山あるが、当時は僅かなものであった。本庁以外の勤務地になった場合は「島流し」と称され、よほど仕事をしないか上司に嫌われるか、特別な事例に限るとの雰囲気が通常であった。それも一般事務でなく水道業務と経験したことも無い業務であった。なんで自分が選ばれたのかとの思いが強かった。水道はほんの短い期間だから我慢するようにと慰めてくれる人もあった。

 こうした水道事務所のでの勤務はいつの間にか5年6ケ月経過していた。水道勤務になった時は気乗りしない職場であったが、水道から離れる移動辞令が出た際は名残惜しいくらいであった。右も左も分からない業務であったが、懇切丁寧に教えてもらい他の業務にかかわっていれば知りえない貴重な体験をすることが出来た。

 当初は馴染みない人ばかりで、心細い中 快く対応してもらい生涯、忘れえない気の良い人ばかりであった。
 蛇口をひねれば水が出るのは当たり前くらいの認識しかなかった中で、多くの体験をすることが出来た。冬の寒い中、川をスコップで掘り起こすのが涙が出るくらい情けなかったこと、長期の断水で住民に怒鳴られ震え上がる思いをしたこと、送水ポンプが揚水せず夜中に投げ出したくなったこと、どれをとっても懐かしい思い出ばかりである。

 一番の成果は、一滴の水も無駄にしてはならないこと、蛇口から水が出るまでには多くの人の手間を要していることを学んだことである。 

by hirosan_kimura | 2025-07-09 11:43 | Comments(0)

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