№1046 職員採用
2025年 07月 07日
昭和41年度までは、廿日市町の水道事業は一般会計で賄われていた。水道事務所では予算関係の事務は殆ど行われることは無く、業者より水道の新設・変更等の手数料の受領・水道部品の売却等の収入を受領する程度であった。
昭和42年度より水道事業が公営企業の対象となり、水道事業特別会計が設けられ独立として会計事務のすべてを、水道事務所で行うこととされた。そのため会計事務担当職員の配置と事務員の新規採用が行われることとなった。
当時の地方公務員は給与も低く人気が無かった。給与のみで生活するのは厳しく、庁職員は兼業農家や自営業等で他の収入がある人が多かった。そのため当時でも共稼ぎ世帯は珍しくなかった。当時は景気が良く民間企業の給与は、公務員とは比較にならない位優遇されていた。新卒者で役場に採用されるものがあれば、よほど成績が悪く行くところが無かったのだろうなど、陰口される始末であった。
こうした中、水道事務所に採用されたのは大手の銀行を退職した若い職員であった。民間の会社の中でも銀行員は飛びぬけて高給であったが、なぜ給与の低い町職員になったのか不思議がった。新しい会計制度を立ち上げるため、会計事務に詳しい銀行員が引き抜かれたのだろうなど噂したものである。
この職員は真面目で他の職員と交じり合うことも少なく、終業後に飲み屋にでも行こうと誘っても付き合うことなく、一日の業務が終わると飛ぶように自宅に帰って行った。
ある時、二人だけになった時「何故、給与の高い銀行を辞めて、安月給の公務員になったのか、他の職員と交遊することも無く就業後や休みには何をしているのか」と聞いたことがあった。年齢も近く同郷であったためか、他の職員と深く交わることも少なかったが、ぽつりぽつり話してくれた。
「自分には夢がありヨットを手作りし、一人でどこか外国まで操縦して行くことを実現する。そのため銀行でお金をためて、空いた時間でヨットを手作りすることにした。お金を貯めるのは銀行はうってつけであるが、忙しいときには残業も多く時間の余裕がない。調度、町で新規採用の話を聞き給与は安いが、定時に家に帰られ休日も自由になるので思い切ってこのような選択をした」とのことであった。
この話を聞いて羨ましくもあったが、不器用な自分にはヨットを自作することなどとんでもないことである。また広い海を一人で操縦し外国までいくことなど夢のような話であった。このことが他の職員に行きわたっても深く詮索することも無く時が過ぎて行った。ヨット製作の進行状況を聞くこともなく、年度終頃に三月末に退職するらしいとの話が行き交ったのみで、盛大にお別れ会をすることも無く退職された。
その後 風のうわさで地御前港から出航したらしい。台湾付近を航行中らしい。東南アジアのどこかの国に着港したらしいなどと、風のうわさで耳に入った。本人が誰かに無線で知らしているのか、誰が聞いたのか謎だらけの噂話のみである。
在職中にたくさんの職員を知り、様々な逸話も聞き、無鉄砲な行動に驚きもしたが、短い付き合いであったが印象に残っている職員の一人である。
by hirosan_kimura | 2025-07-07 11:11 | Comments(0)
