№1037 騒音の途切れない官舎
2025年 06月 10日
水道事務所に勤務始めた頃、高齢の男性職員が勤務しておられた。高齢と言って50代の方であったが、若い職員は「お父さん」と呼んで何かにつけて頼りにしていた。この方は廿日市町が合併する前から水道関係の業務に従事しておられ、水道に関しては生き字引のような方であった。
家族は奥さんと娘さんとの三人家族であったが、住まいは職員が「平良水源」と呼んでいた官舎であった。場所は旧廿日市町役場から原方面に伸びる県道沿いの、広電と当時の国鉄軌道に挟まれた場所であった。
奥さんも気さくな人で、職員は家に招待してもらいご馳走になるのが楽しみであった。お酒を飲みながら談笑するのも楽しみであったが、若い職員は娘さんと会えることの方が目的であった。
この家は官舎と聞いていたが、土地や建物が町有なのか借り上げな
のかは聞いたことも無かったが、建物は平屋であるが土地が道路より一段と低く裏側に回ると二階建てに見え、二階が住居・一階に井戸とポンプ室があった。何回か招待されるうちに慣れてしまったが、最初はこのような騒音の中で生活できるのが不思議であった。
家の前は原線の県道で交通量は頻繁とは言えないが、それでもバスや自動車がひっきりなしに通り、夜になると一段と煩く感じた。おまけに広電と国鉄に挟まれており、電車や汽車の通過るかなり前化から警報機が鳴り響いた。夜間は貨物列車が頻繁に通り、通過する際は轟音と振動で家が揺れるようであった。
おまけに床下からは送水ポンプの運転音が絶えず鳴り響いていた。最初のうちはこの騒音の中で良くも生活できるものと感心し、夜中中の騒音の中眠れるのが不思議であった。家の人に聞くと「慣れているから何ともない。むしろ何かの時に全く音が聞こえない時があると落ち着かない」と言われたのが印象に残っている。
招待を受けた我々は「この家が廿日市で一番 騒音がうるさい家だろう」などと噂し合ったものである。この印象深い建物のいつしか水道としての役割を終え撤去された。
職員間で「お父さん」と親しまれた方・奥さんもなくなられて久しい。
by hirosan_kimura | 2025-06-10 10:58 | Comments(0)
