№1022 一人暮らし高齢者の見送り   

 国・地方自治体とも急激に高齢者数が増加し続けている。中でも一人暮らし高齢者も増え続け、大きな社会問題となっている。
 当時でも一人暮らしの高齢者もあったが、現在とは比較にならないくらい少数であった。遠い親戚も無い場合は、亡くなられた時の対応は全て役場で行っていた。

 ある時、一人暮らしの方が亡くなられたと近所の方より通報が入った。早速、近所のお医者さんに死亡診断書をお願いし、死亡届・火葬許可等の手続を担当者で行った。

 その夕は職員数名で簡素ながら通夜を行った。空き箱に白い布を掛け祭壇らしきものを作り、職員が家庭で育てた花を花瓶に飾り、空き容器利用しローソクや線香を立て、簡素ながら通夜の準備をした。
 職員数名と故人と親しくしていた僅かな近所の人のみの参列で、侘しい通夜であった。
 
 お寺さんの読経もなく、近所の人が家から用意したお茶を飲みながら、故人を偲んだり今後の後始末など雑談で時を送った。余り遅くまでいるわけにも行かず、八時過ぎくらいに火の始末等をして。全員散会した。後は遺体を見守る者も無く惨めなものであった。

 翌日は葬儀らしきものも行わず火葬を行った。遺体は棺桶にも入れず使い慣れた布団にくるんで火葬場に向かった。
 当時は町営の火葬場は整備されていず、各地域毎に火葬を行っていた。火葬場と言ってもそれらしき設備もなく、人家から離れた空き地の地面に火葬できる程度の大きさの穴が掘り下げてある程度であった。こうした中、阿品ではレンガ造りの火葬炉が整備されていたのが不思議なくらいであった。

 当日の火葬場のあった場所は、旧廿日市町役場と今の市役所の中間位の沖の人家もない畑の中であった。今は民家が立て込んでいるので詳しい場所は明かさないほうが良いだろう。現在、市の職員にここは昔、火葬場であったと言っても信用してくれないし、その場所を知っている者も少なくなってしまった。

 当時は火葬を行うのは各地区で行い、講中の代表者か年長者の中から選んでいたのか分からないが、数人で火葬を行っていた。この度の火葬は詳しい事情は分からないが、役場の福祉担当が行った。

 いくら担当者と言えども火葬の経験はなく、年長者の見よう見まねで火葬を行ったが「いつか経験しなければならないので、よく見てよく覚えておくように」としたくない。いくら職務とは言え絶対したくないと思った記憶がある。幸いなことに後に町営火葬場「霊峯園」が整備され、担当職員で火葬を行う必要が無くなった。

 火葬は穴に薪を敷き詰め、その上に遺体を寝かせ、さらに周りを薪
で囲み、その上を薪で包んだ。遺体は棺桶に入っていず本人が使っていた布団に包んだままであった。
 火葬は火が弱すぎると完全に火葬できず、強すぎると骨まで粉々になり経験が無いと火加減が難しい。誰も火葬の経験は無いので薪の量も分からず、これなら大丈夫だろうと年長者の感で行った。

 点火して暫く様子を見ていたが、最後まで見届けるわけにも行かず、燃え上がった炎が落ち着いたところで職場に全員帰ることとした。広い畑の中、周囲に燃え移る様な物も無く、火事の心配は無かった。翌日、完全にお骨になっているだろうと行ってみると、何と驚いたことに生焼けほどではないが、お骨に肉片がこびり付いている状態であった。再び薪を足して、今度は完全にお骨のみになるまで見届けることとした。暫く様子を見てお骨が冷めるまで待ち、骨を拾い骨壺に納めるまで待機した。

 その後、上司がこの様子を火葬に詳しい人に話すと、「遺体を布団で包んで火葬するなど聞いたことがない。非常識にも限度がある。」と諫められたそうである。

 この人の骨壺は他の身元不明者の骨壺とともに、福祉担当で保管されていたが町営火葬場が整備されて、火葬場で保管されたそうである。あの人たちの骨壺は、現在どのように安置されているのか気になるところである。

 後の在職中に、若い職員たちにこの話をしても信じてもらえなかった。今ではこのような体験をした職員も僅かになってしまった。

by hirosan_kimura | 2025-02-26 12:31 | Comments(0)

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