昭和31年に五か町村が合併し新廿日市町が発足したが、昭和35年8月に庁舎が完成するまでは旧町村役場に分散して業務を行っていた。 新庁舎は三階建てで、木造二階建ての庁舎が当たり前であった時代に、近隣にない近代的な建物であった。
冷房こそなかったが、ボイラーで沸かした温水を循環させる暖房装置があった。それまでは火鉢の炭火で暖を取ることもあったくらいで、近代的な暖房装置に驚いたそうである。
冬季は快適な環境の中で事務に従事できたが、今ではあたりまえの冷房装置がないので、暑い時期は過酷な条件の中で業務に従事していた。当時は職場でも家庭でも冷房がないのは当たり前で、せいぜい扇風機くらいで、薄着や風通しを良くする工夫をして凌いでいた。
当時の職場は窓に面していたのは一面のみで、あとは部屋の仕切りや書類ロッカー等で囲まれ、風が吹き抜けるのは僅かであった。
暑い時期になると事務を行っていても汗が吹き出し、うちわとタオルは必需品であった。中にはタオルを湿らせて首に巻く人もあった。そのタオルも時間がたつとなま温かくなり、かえって気持ち悪くなった。噴き出た汗が書類を濡らし、書いた文字が滲むようなことは再三であった。
それでも何とか工夫しながら執務していたが、中年のオジサンたちの極一部の人は、バケツに水を満たし素足を突っ込んで涼をとりながら事務を行う人もあった。
それでも暑さに耐えかねた人は、上半身は肌着・下半身はズボンを脱ぎステテコ姿で事務を執る人も少数あった。
さすがに若い職員は真似をすることは無かった。来客の人があってもこのままの姿で応対していた。今の時代にこのような姿で応対に当たれば顰蹙を買い、新聞に投書でもされかねないが、当時は大らかと言うか問題にもならなかった。
後にどこかの施設で不要になったのか,各係二台づつくらい古い扇風機が配置されたことがあった。この扇風機は首が高くなるものであったが、広い事務室なので風が届く範囲は限られていた。離れていれば風が届かず、あまり近いと風は来るが書類に重しを載せない飛び散って評判は良くなかった。
その何年か経過して全館冷房装置が設置され、快適な夏となり今までの苦労が嘘のよう見なった。今ではエアコンがあるのが当たり前となっている。その有難さを再認識する必要があるのではなかろうか。