行路人とは金銭を殆ど持たず、あちこち放浪する人である。今に時代の状況は分からないが、昭和40年代にはかなりの人が自由気ままに行き来する人が多かった。
この人たちは放浪の途中、町村役場に立ち寄り旅費を貰っていた。廿日市役場は国道に面しているので目につきやすくこのような人たちが立ち寄ることが多かった。この人たちが来られると行き先を聞き、大阪方面に行く人には広電五日市まで、九州方面に行く人には国鉄の「大野浦駅」までの運賃を渡していた。五日市町が広島市と合併すると市内までの電車賃を渡していた。
食事時であれば「パン・牛乳代」とわずかなお金を割り増ししていた。中にはこれでは少なすぎると文句を言う人もあったが、「廿日市はこのように決めている。不服であれば隣町の役場に行ってお願いするように」と告げると僅かのお金を受け取ってすごすごと帰って行かれた。
寒くなると九州方面に、暑くなると大阪方面に向かう人が多くなっていた。この人たちの中にはわずかなお金が入ると、商店を探してお酒を飲む人があった。今と違ってお酒の自動販売機などはなく、お店の人に頼んでコップ酒を飲んでおられた。中には午前中に来た人が午後に来られて、「お金を落としたので、もう一度欲しい」と言う人もあったが、僅かなお酒の量でも飲んだことが分かるので断っていたが、お金をくれるまで動かないと粘る人もあったが、大声で怒鳴り散らしてあきらめて帰って行かれた。
ある時、広島・大野浦までの乗車券を購入して置き、行き先を聞き乗車券を渡すこととした。乗車券でなく現金が欲しいと言われても「これが廿日市町の決まりです」告げるとすごすご帰って行かれた。
暫くして国道に面した潮音寺の奥さんが「以前からお金をねだる通りがかりの人が居られたが、最近立ち寄る人が多くなって不思議だ」と言われたことがあった。事情を説明して「役場に来られたら現金を渡していたが、代わりに乗車券を渡すことにした。きりがないのでお金を渡さず役場に行くよう断ってください」と話したことがある。
それぞれ勝手に行き来している人同士ではあるが、情報網か連絡網があるのか不思議に思うばかりであった。
勤務時間中に行路人が旅費の請求に来られると担当係で対応するが、夜間や休日等の為に僅かではあるが現金を渡していた。たまたま夜遅く残業していると、宿直の人が行路の人が来られて対応したが次の駅までの乗車券では納得せず困っている。何とか対応してほしいと相談に来た。
たまたま上司の方が居られたので相談し、寒い日でどこかで凍死されても、やけを起こして「廿日市の対応が冷たい」などと書置きして自殺されても、死体の処理は廿日市でしなければならないことを考えると何とかしようとすることになった。岩国駅まで行けば待合室で夜を過ごす手立てもある。廿日市の住民がどこかで他の自治体のお世話になっているかもしれないこともあろうと例外措置をとったものである。ただ岩国までの現金を渡すとどこかでお酒を飲む恐れもある。
廿日市駅まで同行し下りの列車に乗車するのを確認しようということにした。案の定、途中で酒屋さんを見ると一杯で良いから酒を飲まして欲しいと言われた。この寒空の中、自費ででも良いから願いを聞いてあげようかとも思ったが、心を鬼にして断ったこともあった。
どのような事情があるのか分からないが、このような人にもどこかに身内が居られ、どこかに住民登録があるのだろう。身内の援助を受けるか、居住地の福祉担当に相談すれば何らかの対応策が講じられるのに、なぜ行わなかったのか残念である。
行路人の支援は住民登録の有無にかかわらず何らかの対応策が講じられる。行路人には限られているが旅費。行路病人には入院・治療費。行路死人には遺体の処理が依頼先の自治体が行っている。
これらに対する費用は後に県費を請求することとされている。いくら県費で賄われるとは言え、経験したくない業務であった。