№1008 秘境   

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旧廿日市町時代に後畑部落を「秘境」と呼んでいた。この地区は現在の湯来町の白砂村に属していたが、分離して原村に編入していた。しかし原側からの自動車道は無く、谷筋の細い川に沿った細い山道を徒歩で行くしかなかった。原から自動車で行くには平良村を下り国道二号線に出て、楽々園手前か五日市町から奥に入り途中で山道に入り後畑まで行っていた。

 当時の旧廿日市町は五か町村が合併しても、面積は僅か42.71㎢しかなかった。現在は佐伯・吉和・大野・宮島町と合併し489.36㎢と広くなったが、広大な佐伯・吉和の人から見ればつい目の先のような後畑を、秘境となどと呼ぶのは可笑しかったかもわからない。

 当時、後畑の小学生は原小学校後畑分校に通学していたが、中学は七尾中学が校区であった。後畑から平良村にあった七尾中学校に通学は困難なので、後畑の中学生は原や平良の親戚や知人の家に下宿していた。土曜日の午後に下宿先から後畑の自宅まで歩いて帰り、日曜日の午後に後畑の自宅から下宿先まで歩いて行っていたそうである。

 そのうち後畑から原まで蛇行した自動車道が開通し、スクールバスで自宅から原小学校・七尾中学校まで通学していた。その内、後畑の子ども数が激減し町がタクシーを借り上げて通学していたが、現在はどうなっているのであろうか。

 後畑には数年前までは市が経営する温泉宿泊施設「アルカディアビレッジ」と言う施設があったが、来場者が激減し史宿泊施設は閉鎖されている。体育館等も併設され、個人客のみでなく学校・其の他団体等の利用を見込んでいたが、道路も狭く大型バスが乗り入れられないのが影響したようである。

 かつては秘境と呼ばれていた後畑ではあるが、湯来町の白砂に向かう道路の途中から山道に入り五日市町との中間に「中伏」と言われる部落がある。テレビで「ポツンと一軒家」と言う番組があるが、当時でも一・二軒しか家がなかったらしいが現在はどうなっているのであろうか。

 当時、この部落から「○○甚六さん」というお年寄りが居られ、たまに廿日市町役場に来られることがあった。この人が来られると珍しいのでみんなが取り囲んで「今日はどの道を来られたのか」と聞いていた。通常は山道を通リ後畑を抜け谷沿いの道を原まで歩き、バスに乗り換えて来ておられた。時には白砂を回ってきた。山道を回り五日市の河内経由で来たなど話しておられた。随分前、「中伏」を通ったことがあった。この時でも人が住んでおられるのか、無人なのか分からないくらい荒れ果てていた。今はどうなっているのだろうか。もう訪れることも無いであろう

by hirosan_kimura | 2025-01-21 11:47 | Comments(0)

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