勤務して最初の配属先は「住民課厚生係」であった。この年の新規採用者は2名。もう1名は「水道事務所」に配属された。この人とはとても縁があった。後に同じ部署に配属された際、何もわからず困った時 一から親切丁寧に押しえてもらった。とてもユーモアがあり大変お世話になり、生涯忘れられない人の一人であったが、惜しくも若くして亡くなった。
住民課は住民係・厚生係の2係のみであった。このうち厚生係の国民年金担当であった。係と言っても所掌範囲は広く、福祉・国民年金・国民健康保険・生活保護・戦傷病者・遺族関係・保健衛生・廃棄物・火葬・公害関係等の事務があり、今でいう福祉保健部関係を1係で行っていた。
厚生係は、係長・福祉担当2名・国民健康保険2名・国民年金2名・保健関係は保健婦と若い男性の2名・ごみ処理火葬公害関係で1名等10名であった。
課長は日比野さんで旧宮内村役場から廿日市町へ移籍された。とても温厚で小柄な方であった。当時はとても高齢者の方と感じたが50代後半の方ではなかったろうか。
厚生係長は岡さんで平良村役場移籍された方である。この方は後に教育長を務められたがあるが、長期間 懇意にしてもらい忘れられない方の一人である。
国民年金担当は2名であったがもう一人は増井さんで30代くらいの男性であった。この方は働き始めて初めてご一緒させてもらった方で何もわからなかったのを一から指導してもらった、生涯忘れられない方である。国民年期では二年のみであったが、水道事務所に移動すれば後に一緒になり、福祉関係に移動すれば後に一緒になり、不思議な縁を感じたものである。通算42年勤務した役所であるが、四分の一位ご一緒させてもらった残念なことに定年を前に病気で亡くなられた。
退職するまで十数か所の部署を担当したが、最初に勤務した部署が一番印象に残っている。少ない人数で家族のような付き合い、懇意にしてもらったことが忘れられない。