昭和38年4月より旧廿日市町に勤務することとなった。当時の庁舎は可愛川傍の国道沿いにあった。
廿日市町は昭和31年9月に旧廿日市町、平良村、原村、宮内村地御前村の5ケ町村が合併して、新生廿日市町が誕生した。面積42・89㎢、人口19,211人であった。合併当初は旧廿日市町役場を本庁舎とし、他の村役場の一部も庁舎として使用していた。
庁舎が分散しているのは不便でもあり、非効率であったため新しい庁舎を建てることになったが、選ばれたのは旧廿日市の可愛川横の国道沿いであった。国道付近には民家が立ち並んでいたが、海側ははるか沖まで田畑が広がっていた。この辺りは県立宮島工業高校が新設される際、候補地に挙がったくらい建物一つない新開地であった。
新庁舎が建設された当時は、近隣の町村の役場は木造二階建てくらいが当たり前で、廿日市に鉄筋コンクリート三階建ての建物が建つと評判になった。建物が完成前後に、は山間部の人達がわざわざ見物に来る人もあったそうである。
この建物は一階・二階が事務関係部署。三階は議会関係で議場・議会事務局等があった。この庁舎は近隣でも羨まれるくらいの建物であったが、急激な人口増で事務量・職員増え手狭となり、隣接の民間建物を借りたりプレハブ建物を増築し一時しのぎの状況であった。
昭和60年10月には人口52,020人となり、町としては人口日本一までになった。当時、遠方より廿日市に視察に来られた自治体が廿日市町役場を探された際、人口日本一ならさぞ立派な大きな建物だろうと思い込み、庁舎前を通りすぎても分からず探すのに苦労したと、笑い話のような話もあった。
平成9年4月には元自動車学校跡地に、文化センター等を併設した新庁舎が完成し、長年慣れ親しんだ旧庁舎とも別れることとなった。旧庁舎は解体され商工保健会館が整備されている。