№914 変貌した地御前の風景   

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 この写真は阿品の人にとってはなじみが無かろうが古い地御前の風景である。地御前村の時代には阿品から見れば一番端の宮内村串戸に接する場所である。撮影年月日は不明であるが、今から100年以上前の風景と考えられる。写真の大部分は地御前村が占めているが、上部4分の1くらいは宮内村串戸の地域である

 見渡せる田畑の区画が整然としているが、海面を埋立てて干拓した新開地であるためである。開発された年代が異なっているが、金剛寺新開が完成したのが元禄8年(328年前)、扇新開が文化13年(207年前)に干拓工事に着工されている。

 中央を横切るのは現在のJR軌道で明治30年(126年前)山陽鉄道として開通している。この写真には写っていないが広電宮島線が大正14年(98年前)に地御前まで開通している。新国道は昭和6年(92年前)に完成した。

 山陽鉄道が広島から下関まで延長された際、地御前に停車場が設けられる計画であったが、地御前村では狭い土地に鉄道線路が通るなどとんでもないことで、まして停車場が出来れば広い面積を要するのでとんでもないことと村を挙げて大反対したが、結局村内を線路が通過し停留所は地御前駅を飛ばして宮島口に駅が設けられた。地御前に駅ができていれば宮島までの連絡船発着場が地御前港付近に設けられたであろう。

 戦前はこの地に「旭兵器廠」言われる軍需工場が設けられ、戦後には「日本綿麻」の工場になり沢山の従業員が働いていた。国道を挟んで「佐伯病院」が新設され後に「広島総合病院」となっている。

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 この写真は余り鮮明ではないが昭和39年4月(59年間)のもので、上記写真とほぼ同一場所の物である。一面に広がっていた田畑は無くなり建物で埋めつくされている。右端が広島総合病院であるが建物は全て新しくなっている。

by hirosan_kimura | 2023-03-02 11:42 | Comments(0)

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