大正14年7月15日に、阿品から厳島間の連絡船航路が運航開始された。今から97年昔のことである。乗船場は鰆浜の火立岩の側に新設された。現在の阿品一丁目であるが、火立岩は西広島バイパス開通のため撤去されてしまった。
当時の広電宮島線の終点は地御前停留所が終点のため、そこから連絡船乗場までは徒歩で行くか、宮島の旅館の自動車を利用していたそうである。
翌大正15年7月15日には広電宮島線が連絡船乗船場まで延長され、広電宮島線を利用し宮島に渡る人の利便性が飛躍的に増した。阿品の広電駅は「新宮島駅」と命名されている。
当時は現在の新国道は開通していなかった。明治12年に開通した旧国道のみで道幅僅か二間弱の所もあったが、阿品付近から地御前神社間は海を埋立てて旧国道を新設したため道幅は三間以上あったそうである。
広電軌道は旧国道沿いに新設されたが、上図は現在広電と国道二号線が立体交差している付近で、並行しているのが旧国道である。右側の田畑のある場所には現在「エスティーム地御前マンション」が建っている。中央遠く見えるのが宮島であるが、この写真では判別しにくい。
この写真は上図とほぼ同じ位置から撮影したものであるが、広電と国道が立体交差している。電車を跨いでいる橋は「沖島橋」である。右側の坂道は元の旧国道が走っていた部分であるが、元は電車と並行していたが国道がかさあげされたため坂道となっている。この道は小学校時代毎日通学した道である。 この写真は昭和6年のものであるが、左下からカーブして上方に広電軌道があり、左端中央付近の建物は「広電新宮島停留所」。停留所左側付近より厳島に渡船する乗船場があった。「新宮島駅」から電車軌道が延びているが、この時点ではこの停留所が終点で宮島口までは開通していない。 右側の削っている場所は新国道新設工事中である。広電と交差するため上り坂を削っているが、現在のような重機も無くすべて人力に頼るしかなく当時としては随分難工事であったようである。電車軌道と新国道工事の間を縦に走るのが、明治12年(今から143年前)に開通した旧国道である。 この写真は昭和7年(今から90年前)に五日市~阿品間に開通した新国道で、広電軌道と国道が交差場所である。交差部分から地御前神社までが下り坂となっている。この時点では国道は舗装されていず砂利道のままであった。国道が舗装されたのは四年後の昭和11年であった。
橋の部分は当時とほとんど変わっていないが、右の山は削り取られマンションや福祉施設などが建てられ当時の面影は無い。