十兵衛岩があったのは田尻沖です。阿品に生まれ育った古い人なら知って居られると思います。しかし阿品台西小学校の学校だよりに、子どもたちへの阿品の古い話をされた方が「鰆浜の十兵衛岩」と説明されたとありました。
また、平成九年に廿日市市が発行した「図説 廿日市の歴史」でも「鰆浜の十兵衛岩」と説明があります。これ以外でも「鰆浜の十兵衛岩」と紹介されていることは珍しくありません、なぜ、このように誤って伝えられているのでしょう。
昭和53年に町の教育委員会が「「廿日市の民話と伝説」の小冊子を発行しています。この中で「33 鰆浜の十兵衛岩 (地御前)」と紹介されています。これ以降「鰆浜の十兵衛岩」が定説のようになってしまいました。この冊子の編纂に地御前の人でも関わっていれば、このような間違いは無かったと思われます。
今は目にすることが出来ない「十兵衛岩」が「田尻沖」であろうと「鰆浜沖」であろうとどうでもいいようですが、正しい阿品の歴史を後世に伝えたいものです。