№827 集会所・児童公園・グラウンド
2020年 10月 15日
鰆浜ではこれ受けて直ちに、「県営団地造成対策鰆浜協議会」を結成し対策委員六人(後に順次補充)を決め、初めは要求折衝を、後には町内あげての条件闘争を展開した。
詳しい経過は「町内会史」編纂時に譲ることにするが、前述のように同じ年に県病院廃止問題も並行して起こったわけで、町内は上を下への大騒動であった。素早い対応で協議会を立ち上げたのはよいが、会合を開く場所がない。やむなく委員の自宅を持ち回りで借用し、全体が集まる時には座敷の広い西本氏宅を、行政側からの出席者がある場合には阿品二丁目の入り口にあった、旧阿品公民館まで行かなければならなかった。
団地開発にかかわる地元の中心問題は、団地の処理汚水を鰆浜川から海に流すということにあった。地形上やむを得ないとはいえ、一万数千人分の汚水を一番狭い谷で受けるのだから、地元としては大変な苦痛になる。当然いろいろとと交換条件を求めた。
その際要求した条件のうち、物件として求めたのが集会所と児童公園の設置であり、県病院跡地(現グランド 今は住宅地)の地元利用であった。また生活にかかわる問題として、井戸から上水道への切り替え工事の対する助成を求めた。
私たち地元住民の要求はほぼ満たされ、その後、造成工事は順調に進むことになるが、特記しておきたいことは、さまざまな条件交渉の過程で「町(旧廿日市町)財政が有利になるように」経済的負担を県に求めたことである。この基本があってこそ県との難しい折衝が成功した、今も革新している。
ちなみに、鰆浜集会所は元県病院のレントゲン室(暗室)あたりに建っている。
「そうらんば 鰆浜の昔話 残したい話 著者 長門太朗 発行 二〇〇三年早春」 最終回
コメント有難うございます。身近な場所でも様々な歴史がありますね。少し前までは様々なことが語り継がれてきましたが、今ではそのようなこともありません。阿品の小さな出来事でも出来るだけ残して行きたいです。
一番若い職員は、25歳。「私が幼い頃には、テレビもまだ少なくて、やがてカラーテレビになって、チャンネルはガチャガチャと回していて、UHF放送が始まって、まだSLも走っていた。半世紀前の話し。」と言うと、驚きます。
歴史の話と言えばはるか昔の出来事と思いますが、自分が子どもの頃の話を中学生に聞かせると、驚くことがたくさんあります。昭和生まれと言うとびっくりします。それだけ自分たちが年を取ったと言うことでしょう。チョットしたことでも記録に残すことが大切ですね。