素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№766 十兵衛岩

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 毎月、阿品台西小学校だよりが配布される。先のだよりで子どもたちに阿品の昔の話があった記事が目についた。数年前までは毎年小学校より阿品の昔の話をして欲しいとの依頼が有り、十年位話に行っていたが最近は話に行くこともない。

 話の依頼が有ると先生と打ち合わせをしたり、話す筋書きを考え子どもたちに分かりやすいようにパネルを作っていた。当日はうまく話せるか、子どもたちは興味を持ってくれたか、内容を理解してくれたかなどとても緊張したものである。一通り説明が終わると子どもたちより質問がある。子どもたちよりの質問はあらかじめ知らせてもらっているが、中には予期せぬ質問が有ったり説明が終わるとホットしたものである。

 学校だよりによると、どなたかが「十兵衛岩」の話をされている。十兵衛岩は田尻海岸の沖合にあった岩で、満潮時は潮の中に隠れ、干潮時には姿を現わしていた。岩の上は平らでかなりの広さがあった。高さは子どもがよじ登るには高すぎたので2メートル近く有ったのかもわからない。今は海岸の埋立によりこの岩は消滅している。

 その昔、子どもたち数人が遊びに行ったが潮が満ちて浜にたどり着いた時、一人の子どもがいなくなっていた。いなくなった子どもの名前は「十兵衛」であった。この岩の大穴の中に巨大な蛸が住み着いていたが「十兵衛」はこの大蛸に穴の中に引っ張り込まれて食べられたらしい。以降阿品の人たちはこの岩を「十兵衛岩」と呼ぶようになったらしい。

 この話は言い伝えであり事実かどうか分からないが、恐らく子ども同士であまり深い所に行かないように、潮が満ちてきたら早めに海岸に帰るように、あまり遅くまで遊ばないようにと、子どもたちを危険から守るため大人たちが言い含めたものかもわからない。

 この話は阿品に伝わる数少ない昔話で、子どもの頃に年寄りから聞かされることもあったが、今ではこの話を伝える人も皆無に近い。これはともかくとして気になるのは、小学校の子どもたちに「鰆浜の十兵衛岩」と伝えられていることである。この岩があったのは田尻沖で鰆浜の十兵衛岩は間違いと思われる。

 今では阿品〇〇丁目と現わされているが、古い阿品の字地名は「鰆浜」「阿品」「田尻」の三つである。十兵衛岩は埋め立てで消滅し、鰆浜の地名も使う人もほとんどなくなっている。こうした中、十兵衛岩が「鰆浜」だろうと「田尻」だろうとどうでもよいようであるが、今にも消え去りそうな古い阿品の歴史を正しく子どもたちに伝えたいと思うばかりである。

by hirosan_kimura | 2018-10-31 11:45 | 伝説民話 | Comments(0)