№746御洲掘神事
2016年 06月 01日
この写真を提供していただいたのは撮影者の孫に当たる方である。この写真はパノラマ写真のようであるが、別々に撮影した三枚をつなぎ合わせたものだそうである。別々に撮影した風景写真ならいざ知らず、動き回るたくさんの人がいる写真をつなぎ目も分からず、一枚の写真に加工する技術は不思議である。
撮影者の方は明治39年にアメリカに移民として渡り、昭和2年に帰国し広島市の中心部で写真店を営んでおられた。戦争の悪化により昭和17年に写真店を閉鎖し地御前の実家に移り住まれ、昭和40年に76歳で亡くなっておられる。
昭和20年に原爆が投下され広島は壊滅状態となったが、戦前に撮影された膨大な数の写真は地御前の実家に移されていたため戦禍を逃れることが出来た。7年くらい前にはこれらの貴重な写真が公表され、写真展が開かれたりマスコミを賑わしたこともあった。
管絃債祭は毎年旧暦の6月17日に行われ子どものころには「十七夜 じゅうしちや」と呼んでいた。当日は神社前も阿品の海岸沿いも、たくさんの観客で溢れかえっていたが今では寂しい限りである。今年の「十七夜」は7月18日に行われる。
祭りは事前の「祭場整備」の「お洲掘り」から始まる。厳島・地御前両神社前で行われるが地御前側では祭りの二日前の正午の干潮時に、神社前の砂浜を左右に掘り分け、澪木(みおぎ 水路を示すために建てられた杭)を立て、厳島から来る管絃船の着岸を円滑に行うために行う。
洲掘りの地ならしのため、美しく飾った数頭の牛を近隣から集め、五・六十人が見守る中、村長の指揮の元に行われた。この洲掘りも農耕牛の減少により、今では機械による整地作業となってしまった。
また、御洲掘の作業をする人々や牛が干潮時の砂浜にいる風景のひとコマが小生の幼い頃の記憶にあります。
小生の記憶はおそらく昭和23、4年頃のものと思います。