№741 「明治天皇」阿品に御上陸(2)
2016年 03月 07日

明治天皇の広島への巡幸
明治18年4月、福岡県小倉近郊において、広島の第五鎮台と熊本の第六鎮台の諸兵を合同して実施大演習をおこなうことが企画され、この演習の状況を天皇に親閲を願うことを参謀本部長と陸軍卿が連署して上奏したのであった。
そして演習閲覧後の還路の際には山口・広島・岡山の3県を巡幸頂くように奏聖請したのであるが、これに対して宮内卿から4月中旬に東京を出発され、演習後には3県下を巡幸されることが決まった、との連絡が入った。
これに対して3県では、巡幸が円滑に進められるようにと、沿岸海浜の深浅の測量と浚渫、道路の整備や橋の改修をおこなうなどし、供奉の吏員や車の儀仗兵なども指名して準備万端整えていたのであるがたまたま天皇が微恙(軽い病気)にかかられたので、演習閲覧のための御行は取りやめとなった。
天皇の巡幸を準備万端整えて待っていた3県下の官吏県民一同は、巡幸中止の報に落胆失望は大きかったが、これが宮内庁の聞くところとなり、改めて明治18年7月15日に告示があり、明治天皇は山口・広島・岡山の3県下を巡幸のために7月26日に東京を出発されることになったのである。
この時の山口県から広島に至る巡幸日程は次のようであった。
7月26日、軍船「龍驤」艦に座乗、春日・筑紫の二軍艦に護衛されて品川 を出航。
7月27日、午後6時10分神戸港に投錨。
7月28日、午後7時50分伊予大浦に投錨。
7月29日、午後7時45分三田尻沖に着艦。
7月30日、山口県庁に臨幸。
7月31日、午前4時50分山口の宿泊所を出発。8時三田尻に到着、本艦 龍驤に座乗10時45分出航、午後6時厳島湾に投錨、大聖院の御座所に到着。
翌8月1日 厳島神社に参拝されて幣帛神饌を捧げられ、別途神社の修繕費として金一封を充てるようにと県令に告げられたのであった。
さらに浅野忠宮司の案内で社殿の説明を受けられ社内周辺を巡覧されて、午後1時行宮(天皇御幸時の仮御所)を出発、2時20分地御前村字阿品に上陸されたが、ここでも村民が花火を打ち上げて祝意を表し、ここから馬車で廿日市村の岩尾沢太郎宅に着かれしばらく休憩の後、草津村の戸長であり酒造業を営んでいる小泉甚右衛門の家にお着きになったのであるが、時に午後3時30分であった。
同家には約40分余休息されて、一路広島に向かわれ、同日午後5時10分広島での御宿泊所となっていた偕行社に到着された。
by hirosan_kimura | 2016-03-07 14:48 | 出来事事件 | Comments(0)