素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№720 三丁目の埋立

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 阿品三丁目(当時は住居表示の設定による町名設定は無く「阿品三丁目」の地名そのものが存在しなかった。)の埋立は第一期工事(鼓ケ浜側)昭和41年10月着工、第二期工事(ナタリー側)は昭和42年2月に着工し、ともに43年3月に竣工している。

 この埋立地と国道の間には広電宮島線の線路敷きがあるが、当時のことを知らない人の中には田尻陸橋が先に整備され、この陸橋を利用して埋立土砂を運搬するダンプカーが運行され、海が埋め立てられたと思い込んでいる人が結構あるようである。

 埋立てが完成したのは昭和43年3月、田尻陸橋が竣工したのは昭和46年の3月で、埋立て完成と陸橋竣工まで期間が長いように思われるが、埋め立てた土砂が落ち付き固まるまで待っていたのだろうか。

 上記写真は埋め立て工事中のものであるが、田尻陸橋が整備されていないことが良く分かる。

e0125014_10281077.jpg この写真は現在陸橋のある付近で元広電田尻駅のあったばしょである。広電軌道の上を土砂を積んだダンプが行きかっている。


e0125014_10382739.jpg 広電軌道傍の海岸には今でも旧堤防が残され上部のみ見る事が出来る。ダンプを通す為にはこの堤防が邪魔になるので一部取り壊している。

 この部分では取り壊した堤防後に幅の狭い堤防を新たに取り付けてある。旧堤防は海から陸を守るためのものであるが、沖側の海を埋立後は堤防は不必要と思われるが、なぜわざわざ新たに堤防を継ぎ足したのか良くわからない。

e0125014_10291699.jpg 川から西側への土砂の搬入は陸橋の下付近から線路敷きを横断して行われていたが、ナタリー側は、ふじグランの東端付近で国道から広電軌道を超えて仮の踏切が作られ土砂の搬入が行われていた。

e0125014_10384871.jpg 上部のみ残された堤防を見ると、ダンプを通す為に堤防を一部削り取った様子が残されている。
by hirosan_kimura | 2015-09-24 11:43 | Comments(0)