素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№713 先代からの言い伝え

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 今から四三二年前(弘治元年)毛利元就と陶晴賢の間で宮島をはさんでの合戦がありました。毛利の軍勢は対岸の宮島を攻めるために、阿品に兵力を集中させて上陸を企てました。現在、田尻に工事中の土屋病院の所に、その当時ーいたみがくぼーと言う地名があり、ここに毛利の陣屋がありました。

 今は団地に造成され残っていませんが、小さい川が海へ注いでいた所に下がトンネルになった小山がありました。このトンネル山から対岸の宮島の大元まで届く藁縄(わらなわ)を阿品の農民に作るよう毛利軍が要求してきたそうです。この縄を深夜たぐりながら、何隻かの舟で武士を宮島に運んで上陸を企て、途中の海上で戦いが行われました。その時、多くの武士が戦死し、死体が潮流によって阿品の海岸に流れ着きました。

 現在、阿品陸橋の掛かっている山が昔はーじんねい端ーと呼ばれており、また阿品公民館の裏あたりは明治10年頃までは、大洲と言う地名になっていました。このくぼみに死体がたくさん流れ着きましたが、その当時は阿品の平地はほとんどが海であったそうです。

 この山伝いに物もらいのお坊さんが通りがかり、現在、おしえ地蔵がある所の山へ藁屋根のお寺を建て、多くの武士を葬むったと言うことで、この山は今でも寺山と呼ばれています。阿品地区には現在でも山裾に当時の墓(五輪塔)がたくさん存在しています。
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 フジタウン造成工事のとき、これらの墓を集めフジタウンの西側へ廿日市町が供養の合碑を建立しています。その他、現在五か所に墓が残っているのを確認しています。                    中山龍三記

昭和62年3月31日発行 「さんさん阿品」第6号より抜粋
Commented at 2015-06-29 17:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hirosan_kimura at 2015-06-30 08:20
 阿品には色々な言い伝えがありますが、どれが真実で何が作り話か分かりません。文書で残された物もなく、余り気にしない方が賢明だと思います。
by hirosan_kimura | 2015-06-26 15:39 | 伝説民話 | Comments(2)