№713 先代からの言い伝え
2015年 06月 26日
今は団地に造成され残っていませんが、小さい川が海へ注いでいた所に下がトンネルになった小山がありました。このトンネル山から対岸の宮島の大元まで届く藁縄(わらなわ)を阿品の農民に作るよう毛利軍が要求してきたそうです。この縄を深夜たぐりながら、何隻かの舟で武士を宮島に運んで上陸を企て、途中の海上で戦いが行われました。その時、多くの武士が戦死し、死体が潮流によって阿品の海岸に流れ着きました。
現在、阿品陸橋の掛かっている山が昔はーじんねい端ーと呼ばれており、また阿品公民館の裏あたりは明治10年頃までは、大洲と言う地名になっていました。このくぼみに死体がたくさん流れ着きましたが、その当時は阿品の平地はほとんどが海であったそうです。
この山伝いに物もらいのお坊さんが通りがかり、現在、おしえ地蔵がある所の山へ藁屋根のお寺を建て、多くの武士を葬むったと言うことで、この山は今でも寺山と呼ばれています。阿品地区には現在でも山裾に当時の墓(五輪塔)がたくさん存在しています。
昭和62年3月31日発行 「さんさん阿品」第6号より抜粋
by hirosan_kimura | 2015-06-26 15:39 | 伝説民話 | Comments(2)