№706 地宮館   

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 地御前の人と話しているとたまに「地宮館」と言う言葉が出て懐かしい思いをすることがある。「地宮館」は地御前神社前にあった海水浴場の施設で今は無い。昭和40年代頃までは堤防の上に桟敷の名残と思われるものや、国鉄の保養所に転用された施設が残されそこで何回か宴会をした記憶もある。

大正十四年七月十五日 中国新聞
「電車の開通と共に 十九日海水浴場開場
  地宮館は薄利主義 地御前村の一大発展」
 
 長汀曲浦に富んだ佐伯郡地御前村の海岸線は、到る所風光絶佳であるが就中(なかんずく)、地御前神社の鎮座します辺はその粋を集めている。奇岩怪石に富んだ沖山を隔てて、日本一の名勝厳島を呼べば答えんとする目睫の間(極めて接近している)に優雅な島影を海面に投げて、那沙美水道を剘して大小の那沙美島はその名の如き優麗なる姿をのぞかせて居る。

 尚忘れたように置かれて居る弁天島の背後には、能美及安芸の連山が緩やかな起伏を搖曳(ようえい)し、左方には宇品から江波及五日市までのんびりした海岸線を、一眸(いちぼう)の間に眺める事が出来る。この間の海の静かな海面を中国船路の汽船が走り、真帆片帆が浮ぶの情景は実に一幅の名画である。

 この風光絶佳とを劃して本年から海水浴場が新設せられ、来る十九日開場式を挙行し二十五日から愈々解放すると言うが、交通不便を以て久しく世に捨てられて居た同所も、今回の電車開通に依りては蓋し廣島附近随一の浴場として、賑盛を呈するに至るであろう。

 既に地御前神社境内の老杉鬱蒼と繁茂した海面に遠く一町余の遠浅を控え、然も天恵の防波堤沖山に擁せられ、渚には岩石貝殻の如き危険物がなく、小児婦女の海水浴も適当であると眼星をつけた広島市中島、竹屋、広瀬、袋町の各小学校及び市商、二中、被服支廠、専売局等の指定海水浴場として交渉を遂げている。
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 尚同所には村内の名望家で製材業を営んでいる渡辺清太郎氏が、本管・別館・海面にかけ出し等で、総坪数百二十坪に工費二万五千円を投じて、地宮館と称する広壮な建物を新築し、浴客の便を計らんとして居る。

 背後の山で夕陽を避けて南面した同館は、常に涼風に見舞われて居る。新築の木の香も高く畳を初め料理用の什器一切も新しく気持ちが良いが何よりも喜ばしいのは、同館が沖の漁業者と契約して溌剌たる鮮魚を発動船で運び来り食膳に供すると言う事である。又同館には四十畳敷の大広間があり団体或いは宴会用にも充て、一般客室は旅宿用になって居るのもある。

 背後には約四千五百坪の芝生の空地があり、近くブランコ・テニスコート等も新設する計画がなって居り、貸ボートの設備もあって海水浴場としての設備には萬々遺漏がない同館は、一時的夏季のみの営業でないから社会奉仕的薄利を以て営業する方針にして居ると言う。

 因みに同浴場では新設電車地御前停留所より一丁足らずで達せられる。

by hirosan_kimura | 2015-04-17 14:25 | 娯楽 | Comments(4)

Commented by Fujio K at 2015-04-18 18:18 x
変換ミスと思いますが、「地球館」は「地宮館」では?
貴兄の栞、N0.498及びNO.673にも「地宮館」と記されています。
Commented by hirosan_kimura at 2015-04-19 09:04
 とんだ間違いです。ご指摘ありがとうございます。それにしても周囲の風景の表現は少し仰々しいような気もします。地宮館を撮影した写真でもお持ちでないでしょうか。
Commented by Fujio K at 2015-04-19 22:21 x
昭和44年に撮影した地宮館の写真を、メールに添付して送ります。
Commented by hirosan_kimura at 2015-04-20 06:04
 貴重な写真有難うございます。早速活用させていただきます。

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