№705 昭憲皇太后 阿品の「お上がり場」へ   

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 明治天皇妃の昭憲皇太后は傷病兵慰問のため、明治28年に広島を訪問して居られる。その際、日帰りで厳島を行啓されたが阿品の「お上がり場」より御乗船・御帰船されている。今から120年前のことである。当日の様子を広島に置かれていた大本営の「臨戦地日誌」より要約抜粋してみた。

御四月十二日
 皇后陛下は佐伯軍厳島に行啓あらせらる。是先、原郡蔵・小田清・伊集院弥彦・技手中川松次郎は厳島に。松井憲夫技手は佐伯郡阿品に、可児久成は佐伯郡草津村小泉甚右衛門宅に出張。各々諸般の事に従う。

 此日、陛下は御予定の如く午前第八時に行在所御出門。陸軍予備病院第一分院に行啓あらせられたる御列にて、西練兵場通り大手町一町目より右折し横町に。夫より中嶋本町、堺町・天満町より順次国道筋を佐伯郡草津村小泉甚右衛門宅に御着あらせらる。下田佐伯部長が迎え奉る。
 
 暫時御休憩の後,御出発され五海市、廿日市、地御前の町村を経て阿品に御着。仮設営の御休憩所に入られる。有地呉鎮守府司令長官此地に奉迎す。陛下は暫く御休憩の後、仮桟橋よりて差回しある第一呉丸に召させられ厳島に向かわれ、程なくして御召船は厳島東波止場に御着。鍋島県知事が此に迎え奉る。厳島・草津・廿日市各小学校職員生徒・赤十字社員・郡吏員・町村吏員等、濱通に奉迎す。

 陛下は仮設の船桟橋より鍋島知事の奉導にて御上陸。直ちに差回しの御馬車に召させらし北の町濱通、中の町濱通を御通、厳島神社に御参拝あらせらる。此間、神官奏楽す。終りて神社南口より再び御馬車に召させらし。御垣原南町より紅葉澗(たに)岩村平助宅に入らせたる。時に正午十二時。

 陛下は此処に於て御昼餐を御し玉ひ。暫時此所の風景を御覧あらせられし。此家御出発。再び御馬車に召され厳島神社回廊入口にて御下車。西回廊御巡覧終て西口より御馬車にて大願寺前より海岸通り西へ大元神社に成らせられ、尋て千畳閣麓に下車。御徒歩にて此閣御巡覧終て御笠濱通、御通。

 当初の御道筋を東波止場より御発船在らる。鍋島知事、埠に送り奉る。其他奉送の諸員、奉迎の時に異なることなし。午後第五時十五分阿品に御着く。御休憩所にて御小憩され此所御発。

 草津村小泉甚右衛門方に御小憩の後、御機嫌麗しく午後六時五十分、行在所に還啓あらせらるる。
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№705 昭憲皇太后 阿品の「お上がり場」へ_e0125014_921666.jpg このブログを見た方より、草津の小泉酒造に明治天皇と皇太后が来られた記念碑が残されており、記念の絵葉書が発行されたと教えていただいた。絵葉書の左に「小泉本店」、右上に「明治天皇・昭憲皇太后 御聖跡」と記されている。
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by hirosan_kimura | 2015-04-07 15:59 | 出来事事件 | Comments(0)

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