素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

678 新国道開通当時の沖山付近

678 新国道開通当時の沖山付近_e0125014_16345486.jpg
 昭和7年3月に、五日市~阿品付近まで新国道が完成している。この写真は余り鮮明ではないが、開通当時の沖山橋付近のものである。この付近の風景は今では大きく変わっているが、自分たちが小学校に通学していた頃はほとんどこの風景と一緒であった。

 旧国道は電車軌道左側を地御前神社付近まで狭い道路であった。新国道と広電軌道を新設するため、海を埋立て山を削って用地を確保するという大工事であった。

 特に沖山付近は国道と電車軌道を立体交差さすために難工事であったと言われる。

 新国道開設当時は道路は舗装されていず、砂利道のままであった。

678 新国道開通当時の沖山付近_e0125014_10565528.jpg
 鰆浜側も海を埋立て山を削って用地の確保が行われたが、現在のように重機もなく人手による作業が大半だったらしい。

 左下電車軌道のすぐ上側に、広電の「新宮島駅」が設けられ、宮島に渡航する連絡船乗り場もあった。この電車駅も宮島への渡船場も、広電軌道が宮島口まで開通すると同時に廃止された。

 この付近もバイパスの橋脚が架けられ、今では風景も大きく変わっている。

678 新国道開通当時の沖山付近_e0125014_16351912.jpg
 この写真は上の新国道開通場所とほぼ同じ場所から写した写真であるが、沖山の山は削られ建物が建てられ大きく変わっている。
Commented by hitoshi at 2014-12-18 08:58 x
沖山が山の形をしていたのは、かろうじて憶えているような気がします。2号線を越えてというより、祖父の船で海側から見たのをです。松茸がはえていたとかいなかったとかそんなことも記憶にあります。セットの記憶で、カマボコ兵舎。沖島橋という名前が広電と2号線の立体交差の橋にありました?
Commented by hirosan_kimura at 2014-12-18 09:41
 コメント有難うございます。小学校の時、理科クラブに入っていて沖山下の海岸で海の生物の観察に行っていたことを思い出します。沖山で松茸を採った記憶はありませんが、学校の帰りの寄り道で沖山に登り、ぐいめやあけびなどを採って食べていた思い出があります。沖島と言えば私も「沖山」「沖島橋」「かまぼこ兵舎」が頭に浮かびます。変わっていないのは国道と広電軌道が交差する沖山橋くらいです。このブログもついにネタ切れ状況ですが、何とかあと70回頑張りたいと思います。昨日は久しぶりの大雪ですが、子ども時代はこのくらいの雪は珍しくなかったような気がします。
by hirosan_kimura | 2014-12-07 11:29 | 交通 | Comments(2)