№668 地御前の地名(8)
2014年 11月 27日
鹿之子町の巻
鹿の子群れ飛ぶ
書けと言われるまゝに筆を取ったがさて、何を書いてよいやら少々まごつくが、久し振りにわが部落の昔を想い出してみよう。
まず厳島神社と言えば鹿が思い出されるが、明神様と鹿の子町は結びついたものゝようだ。その昔は未開の山また山を思わせるそれこそ鹿の子でも住んでいた平和な山間だったにちがいない。大昔のことは私どもの知る由もないが、われわれの古い先祖は一体どんな暮らしをしていたろうか。
御承知のように小学校の裏に当たる当部落は、戸数三十五戸、世帯数三十九、人口百九十五の小部落で、南に御山をめぐらし、西北に神鹿山、神之子山を背負い、東は地御前村内につらなる。
このように町名また山々の名をもってみても明神様の御山にして、多くの鹿が群がり遊んでいた平和な山野だったにちがいない。
鹿之子山には十五の地歳が鎮座します御堂が有り、毎年八月二十四日がお祭りである。神鹿谷より流れる小川は当部落を通り地御前港に至る。
道路は四方八方に通じ交通は至極便利である。最近神鹿道は村当局を始め、関係諸氏の協力により改修工事が着々と進み四月いっぱいには完成予定で、将来の発展には大きな役割を果たすことゝなろう。
現在産業方面はあまりみるべきものはないが、当部落は大半が農家で田五町三反、畑六反部を耕し、すでに苗代期に入った今、ことしこそはと張切っている。
終りに衛生方面では、年々婦人会の御協力によってうるさい仕事をやっていただいているが、一般の方々もこれに協力し完全にカやハエを退治したいものである。
(鹿之子町町総代川本記)