№662 地御前の地名(3)
2014年 11月 21日
旭町の巻 工場地帯
当部落は御承知のように工場や病院で部落面積の多くを占めております。そのために現在世帯数は三十二に過ぎないのに人口は二四五名ですから、一世帯当たり約八名ということになりますがこれは従業員が沢山居るためでしょう。
この部落は、元来「扇新開」と呼ばれ昭和十六年までは水田あったのを埋立て、兵器工場を建てた時、これを「旭兵器」と名々しそれ以来終戦後は「旭町」と称するようになったものです。
今部落として一番要望されていることは、水道を設置することですが地御前の発展からもぜひ望ましいことです。
(昭和28年12月1日 町総代勝谷記)
旭町の「日本綿麻工業株式会社
当社は昭和二十四年六月、それまで「旭兵器工場」と言ったのを買収改名し、資本金壱千万円で創立、主としてロープ漁網を製造、従業員二百五十名の株式会社です。
最近、梶川紡績織布工場を吸収して前記製造の他に綿糸綿布も加えた多角経営によって社会に貢献しております。
(中央は国道。右の建物が日本綿麻)
将来は紡績機械設備の増設等も考慮中で、そのために従業員も遠からず三百五十名位にはなるでしょう。
原料機械等は大日本紡績株式会社から入り、製品の積出は廿日市駅から出しています。従業員の大半、約八割は女子でそのうち百名は寄宿舎に入っています。また本村居住の方は約三十名です。郷土産業発展のため益々努力するつもりです。
(日本綿麻工業株式会社 庶務課記)