№604 テレビ   

№604 テレビ_e0125014_12574114.jpg 今ではテレビの無い家庭はないほどで一部屋に一台、一人に一台のテレビのある家庭も珍しく無い。

 広島でテレビ放送が開始されたのは58年前の、昭和31年3月であった。当時のテレビの価格は1インチ6万円と言われ、所得も少なく今で言う自家用車を買う以上の価格であったらしい。

 このような状態であるので阿品にテレビのある家は無かった。小学校の裏門近くにテレビを購入した家があったが、放課後に子ども達はその家のテレビを見せてもらっていたが一人10円くらいのお金を徴収していた。地御前の子ども達は学校でテレビの話をよくしていたが、貰う小遣いも僅かで学校から家に帰りまた地御前に行くのは遠いので、お金を払ってテレビを見た記憶は無い。

 そのうちテレビの普及とともに価格は下がったらしいが、それでも一般家庭ではテレビに手が届かなかった。昭和34年に皇太子殿下のご成婚を期にテレビが普及したらしいが、それでも阿品にはテレビのある家は数えるほどしかなかった。この日は部落中の女性が集まったのでは無いかと思われるほど、テレビのある家に集まりパレードを見ていた。

 当時のテレビはNHK1チャンネルのみで、放映時間は昼間1時間、夜4時間程度のみであったがその内、放映時間も長くなり中国放送やNHK教育テレビなどチャンネルも増えていった。

 夜の夕食が済んだ頃毎晩のようにテレビのある家に見せてもらいに行っていた。遅くまで見ていたが夜の放映が終わると日の丸のたなびく画像と、君が代の演奏が流されていたのが印象に残っている。

 当時の番組では「ジェスチャー」「連想ゲーム」などの記憶がある。

 我家にテレビが入ったのは遅いほうで昭和36~7年ではなかったかと思うが、それでもテレビの無い家の人が毎晩見に来ておられた。

 カラー放送は昭和39年頃開始されたが、カラーテレビは高価でとても買えるものでなかった。ある時セールスマンが廻って来て、簡単な装置で白黒テレビがカラー放送が見られると勧められ母が購入したことがある。それはテレビ画面と同じ大きさのプラスチックの板のようなもので板全面に細い筋状の線が横に刻んであった。

 テレビ画面にそれを当てて見たが、光の屈折の関係なのか見る方向によっては薄い虹のように見えるだけで、とてもカラー画像と言えるものではなかった。近所でも何軒かは購入した家もあったが騙されたと騒いでいたのが記憶に残っている。

 当時のテレビは価格も高価でブラウン管方式のため奥行きも長く重いものであったが、今では壁に架けられるほど薄く軽くなっている。価格も驚くほど安価になり隔世の思いがある。

by hirosan_kimura | 2014-01-27 13:52 | 娯楽 | Comments(0)

<< №605 船霊(ふなだま)さん №603 昔の遊び「Sけん」 >>