№589 町の春秋(2)
2014年 01月 12日
◎「道ゆきぶり」
千三百七十一年の南北朝時代、北朝の勢力を拡大するため、今川了俊が九州探題に任命されました。了俊は武家勢力を扶植しつつ南下しましたが、地御前神社の前を通り、阿品を経て中山に越したと記しています。阿品の本谷を奥へはいると、大野の中山や更地に越す峠があります。今から六百年前今川了俊は日記紀行を書きながら阿品を通ったことが「道ゆきぶり」に記されています。
№6・№7・№39・№582参照
◎「ハミの首」の伝説
この峠にさしかかるところに、教え地蔵がありますがこの道をしらしまた素朴な信仰がうかがえます。
この附近に「ハミの首」というところがありますが、つぎのような伝説が残っています、
「昔このあたりよりニ町奥に大きな岩があり、ある時の春の田植時にこの大岩の附近で早乙女がおおきな蛇を見つけ、騒いで追い出し石を投げつけて殺したところ、その蛇はジャコウの香りをはっした。これをとるために能美島の者が、土までこさげて持ち帰った。」
№53参照
◎古墳の発見
「ハミの首」は長い尾根が続き、その先端が丸く土盛りがしてあるので蛇の頭に似ています。この先端の土盛りが先年古墳ということがわかり、阿品積石塚と命名されました、千二百年昔のもので、阿品の歴史の古きを物語っています。
おそらく阿品を開拓した祖先の墓で、一ばん大切な谷川の谷頭につくり、水利権の主張を物語っているように感じられます。
№57・№364参照
◎新しい阿品
阿品も御多聞にもれず、東の丘に団地がつくられています。また宮島遊園地もあり、海水浴場と共に観光に役立っています。鉄工所も出来ていましたが、倒産した近代産業の複雑さをこの土地でも身を持って感じられます。
№122・№134参照」