素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№580 地御前の写真(2)

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 昭和7年農繁期託児所とある。お寺をを利用して託児所が開かれている。ここに写っている子どもたちも元気でいれば八十数歳になっている。

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 当時の託児所の詳しいことは分からないが、№490で昭和24年当時の託児所の様子を紹介している。

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 昭和9年1月の地御前村の消防車と車庫の様子であるが場所はどこだろうか。当時は可搬式の消防ポンプくらいしかなかったのかと思っていたが、80年前にしては立派な消防車があったものである。

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 この写真は写りが悪いが広島総合病院の前身「佐伯病院」の玄関を写したもので、昭和20年代の終わりか30年代の初め頃写されたものではなかろうか。勿論木造で病院名は右から「院病伯佐」と表示してある。 佐伯病院は佐伯郡37ケ町村と農業会が出資し昭和22年12月開院している。 昭和41年に佐伯総合病院、昭和54年に広島総合病院と改称している。

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 中央煙突の場所が「広島ベニア」、今ではイオンの建物となっている。その向こう側には「日本綿麻」の建物が写っているが、今では住宅地となっている。病院が改築されているが昭和40年頃撮影されたものではなかろうか。

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 昭和32年成人式の地御前地区分の写真である。旧廿日市町、平良・原・宮内・地御前村が合併して最初の成人式と思われる。天満宮で撮影されているが、この当時は中央公民館は建てられていず何処で式を挙行したのだろう。この写真に写っている紅顔の美少年美少女も喜寿を迎える年となっている。
Commented by hitoshi at 2013-10-28 08:36 x
消防庫は元の下り電停のところに、駐在所と並んでありましたよね。国道沿いのあの位置の写真だと思います。記憶よりもっと立派な建物、装備です。日本綿麻の名称も、工場の屋根の形も懐かしいです。私は佐伯病院で生まれました。
Commented by hirosan_kimura at 2013-10-28 09:24
 車庫ですがそういわれれ後に宮島線の線路・電柱が見えますね。古い建物が残っていましたが、建物の一部だったのですね。
Commented by Fujio at 2013-10-28 22:52 x
農繁期託児所の寺は、横に枝を伸ばした松の木があることから西向寺では?
佐伯病院の玄関は懐かしい。 昭和24年8月、小学校1年生の時に右足の脛を骨折し、リヤカーでここに運ばれました。
Commented by hirosan_kimura at 2013-10-29 08:04
 松の枝振りから見ると西向寺のようですが、戦後の保育所は正行寺の本堂を利用した聞いたことがありますがどちらが正しいのでしょう。その後、正行寺のすぐ裏に村立の保育所が建てられ、今では道を挟んだ向かい側に地御前保育園があります。地御前の者なら一回は佐伯病院を利用していると思います。私も小学校に入学前に目の大怪我で利用した記憶があります。
by hirosan_kimura | 2013-10-28 04:52 | 写真 | Comments(4)