素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№563 阿品の出産

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 阿品のある高齢者より、戦前の出産について話を聞かせてもらった。この例が特別なものでなくどの場合もほぼ似通っていたのだろう。

 妊婦になっても特別栄養を付ける言うことも無く、食事は家族と同じものを食べるのが当たり前であった。その食事も今と違って野菜中心の粗末なものであった。

 妊婦に余程のことが無い限り出産の前日まで、皆と同じように働くのが当たり前であった。

 出産の準備は今と違って大量の「おしめ」が必要なので、古い浴衣などを解いてたくさんのおしめを作っていた。赤ちゃんの着るものも古い着物などを解いて作っていた。

 当時は妊婦検診などは無く、ときたま産婆さんの所にいったり、産婆さんに家に来てもらって赤ちゃんの様子や妊婦さんの体調などを診てもらう程度であった。

 出産は自宅でするのが当たり前で、病院や妊婦の里で行なうことは無かった。

 産気づくと家の人が大急ぎで自転車などで産婆さんを呼びに行っていた。

 出産は家の奥まった部屋などで行なっていたが、産婆さんは出産を看取り姑さんが湯を沸かすなどおおわらわで準備した。

 出産後妊婦は赤ちゃんに付添っていたが、10日くらいで炊事・洗濯などに当っていたが、今と違って便利な家電もなく休む間がない位忙しく働いていた。洗濯機も無くおしめも手洗いで大変であった。姑さんがいない家庭など出産数日で家事を全部行なう必要があり、今では考えられないほどであった。

 出産後33日くらいは赤ちゃんと一緒に家に居ることができたが、それを過ぎると田畑に出て皆と一緒に農作業を行なわなければならなかった。

 乳の出が悪いときは今と違って粉ミルクなどもなく、「おもゆ」を飲ましていたがそれでも赤ちゃんは何とか育っていた。

 今と違って、妊婦や赤ちゃんの栄養状態や衛生状態も悪く、出産中に妊婦さんが亡くなったり、たくさん生んだ赤ちゃんも大きくなる前に亡くなることも珍しいことではなかった。 
by hirosan_kimura | 2013-08-08 13:45 | 冠婚葬祭 | Comments(0)