№558 吉田病院(2)
2013年 07月 09日
病院は中庭を挟んで「ロ」の字形に建てられており、診察室の上部とレントゲン室以外は平屋の病室が建てられていた。中央の建物がレントゲン室のあった建物で、急な階段を上がった所に独立したレントゲン室があった。
左側の建物は一階に診察室・薬剤室があり、一階に窓が四つあるが、一番左が待合室、右側に看護婦さんの休憩室などがあった。この二階は病室ですべて個室であったが中には畳敷きの部屋もあった。
レントゲン室右側の病室から右端の病室が縦に並び、二階建ての建物の向こう側にも平屋建ての建物が、中庭を囲むように建てられていた。以前は精神科もあったので中には窓に鉄格子の嵌められた病室もあった。
「№451」でも紹介したが家のすぐ傍なので入院患者さんと親しくなり、病室に入り込んで花札などして遊ぶこともあった。昭和30年代の終わり頃、廿日市町で赤痢が大発生した際は余りにも患者が多く、隔離病舎に収容しきれずこの病院にもたくさんの患者さんが収容されたこともあった。
この病院の敷地には、前庭・中庭・後庭にも沢山の木々が植えられ中でも桜の木がたくさん植えられていた。春になると桜の花が一斉に咲き誇り、中庭では部落の花見を行なうこともあった。安静を要する入院患者さんの病室のすぐ傍で、飲めや歌えの大騒ぎなど今の時代では考えられないことである。
夏になると蝉がたくさん鳴いており、病院の庭は子どもたちの蝉取りで大騒ぎであったが怒られたような記憶もない。
院長先生が亡くなられ病院が休業となり、建物をそのまま使用して「南風荘」と言うアパートとなった時代もあった。病院の施設のままなので、炊事場・便所・風呂などはすべて共用であったが、多いときには40世帯近くの人たちが住んでいた時代もあった。
そのアパートも取り壊され医院の施設が建てられていたこともあったが、今ではマンションが建てられ昔の面影は無い。
ちょっと高い位置からの写真なので、Hirosan宅東側の小山から撮影されたものと想像します。
下の写真の風景は、ガキの頃、数え切れないほど見た風景なので鮮明に覚えています。
当時の院長先生は小学校の校医をされていたので、小学校時代は毎年健康診断を受けたものでした。
また、ガキの頃、病気になった時にはよく先生に往診してもらったのを覚えています。
往診の際、先生は「ドッ ドッ」とエンジン音を響かせながら、大きなオートバイに乗ってやって来たものです。
このオートバイはかなり年期の入ったもので、戦前の外国製だったのではないかと思います。
Hirosanは院長先生のオートバイのことを覚えておられますか?