素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№538 阿品の葬式

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 家の人が亡くなると大野や阿品から遠く離れた親戚や知人に知らすのに、当時は電話など普及していないので近所の人に頼んで、徒歩や自転車で連絡をしてもらっていた。これを阿品では「飛脚」を頼むといっていた。

 葬式の準備や手配は「講」の人がすべて行なっていた。阿品の講は東組と西組の二つに分かれていた。講の女性たちは葬式の料理を作るのにおおわらわであったが、献立はほとんど決まっており煮物・素麺・酢の物・あらめ・味噌汁などであった。意味は良く分からないが、おひら・おつぼ・おせんなどがあったと言う人もある。あんぱんも付いていたらしい。

 平釜でご飯を炊いていると子どもたちが集まって来て、おこげが出来るのを待っていておこげに砂糖や塩をまぶしてもらって食べるのが楽しみであったそうである。

 男たちは葬儀の準備が主であったが、亡くなった人の家には二本の竹に紙で飾り物を付けたものを家の入口に立て、野辺送りに行く時はその飾りを葬列にかざして火葬場まで行っていた。

 葬列には亡くなった家の人・親戚・近所の人・知人などが同行して長い列で鰆浜の火葬場まで行っていた。子どもたちも葬列に参加したが、お菓子が貰えるのが目的で葬式があるのが楽しみだったらしい。

 火葬は近所の人たちが薪を燃やして行なっていたが、火葬場での儀式が終わると野辺帰りで家の人や親戚
の人たちが会食を行なうので、その接待で近所の手伝いの女性は大忙しだった。火葬を手伝った近所の人々は隣家で相伴にあずかり、酒なども出て大騒ぎをすることもあったらしい。

 火葬場に残った人はしばらく火葬の様子を見ていたが、火葬の途中で遺体が海老のように曲がり起き上がったようになることもあるので、この時はスコップで遺体を叩きつけ元に戻すこともあったそうであるが、いくら遺族が見ていないと言え随分と乱暴なことをしたものである。

 翌日、火葬をした人は遺族が骨拾いに来る前に火葬の状況を下見にいったが、たまに遺体が半焼けのこともあり再度焼き直すこともあったそうである。

 この話は阿品のある高齢者から聞いたものであるが、半分冗談で作り話もあるかも分からない。

 上の写真は嘉永二年六月生れの祖母の葬儀写真の一部であるが、葬儀の年月は分からない。
Commented by Fujio K at 2013-04-13 17:27 x
昭和30年頃までは、葬儀の際の集合写真は火葬場で撮影されていたように記憶します。
掲載の写真は昭和10年前後のものと推察します。
この葬儀写真のお祖母さんの、4歳年下の妹に当たる人は昭和11年3月に亡くなっています。

Commented by hirosan_kimura at 2013-04-13 20:43
 コメント有難うございます。このお祖母さんの旧姓は「木戸トミ」さんです。このお祖母さんが何女に当るのか分かりませんが妹さんとは「川本重ヱ門」さんの奥さん「川本ハル」さんのことでしょうか。この姉妹のの両親は「木戸冨蔵・フサ」さんです。それにしても良く記録しておられますね。
Commented by Fujio K at 2013-04-13 21:05 x
仰る通り「トミさん」の妹は「川本ハルさん」です。
トミさんは木戸冨蔵さんの長女です。
Commented by hirosan_kimura at 2013-04-14 12:40
 他人と思っていた人でも不思議な縁で繋がっているのですね。阿品の火葬場は粗末な施設であったので、火葬場で集合写真を撮影することは無かったのではないかと思います。色々調べて見たいと思いますが、聞く人がだんだん少なくなっています。
by hirosan_kimura | 2013-04-12 14:02 | 冠婚葬祭 | Comments(4)