素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№533 大正9年 阿品の電灯

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 大正9年の電灯数を調た様子である。地御前村全体の戸数は549戸とある。この中で内灯1,092個、外灯73個とある。外灯とは街路灯のことかと思ったがこの時代に街路灯は整備されていず、住居外の納屋や作業などする場所に設けられた電灯のことでは無かろうか。

 この調査でも阿品地域の鰆浜部落は田屋部落と併せて一つの調査区域となっており、阿品地域全体の状況は分からないが、阿品部落58戸に対して内灯107個、外灯5個となっている。

 内灯のみでは一戸当り1.8灯、外灯を合わせても一戸当り1.9灯のみであった。当時の農家の部屋は田の字型に配置されている場合が多く、最低でも四部屋はあったが全ての部屋に照明が無かったこととなる。

 今では電気代の計算は、各家にメーターが取り付けられ使った電力量に応じて支払っているが、当時は電気のメーターなど無く電灯一個に付き幾らと定額制であった。このため電気代節約のため取り付ける電灯の数を少なくしていたが、その代わり幾ら長時間点灯していても電気代は増えることはなかったらしい。

 すべての部屋に照明が無いので、家族が集まる主な部屋のみに照明が取り付けてあったのだろう。その代わり電灯には長いコードが付いており他の部屋に照明が必要な場合は長いコードを利用して電灯を他の部屋まで引っ張って利用することもあった。

 現在では全ての部屋はおろか、廊下・階段・便所まで照明の無い場所も無くコンセントも至る所に取り付けられている。

№533 大正9年 阿品の電灯_e0125014_14124551.jpg 昭和20~30年代でもコンセントが無いのが当たり前で、電灯以外のアイロンなどの電化製品を使用する場合は、電灯に二又ソケットを取り付けて一本の電気コードで一つは照明、一つはアイロンなどを使うのが当たり前であった。
by hirosan_kimura | 2013-03-21 06:53 | 衣食住 | Comments(0)