№528 農薬に使われた「馬酔木」
2013年 03月 09日
すっかり春の陽気で宮島の植物も新芽が芽吹き始めている。馬酔木の花がそこらじゅうに咲き誇っている。宮島では鹿が食べるため様々な植物をフェンスで囲ったり、幹に網が巻きつけてあったりするが、馬酔木は鹿が食べないので至る所に繁茂し美しい花を咲かせている。
この木や花には毒があるので、昔は害虫予防の農薬として使われていた。昔の記録を見ると冷害や害虫の大発生により凶作となり飢饉に見舞われることが珍しくなかった。
今のように農薬が無かった時代、馬酔木が貴重な害虫予防に使用されていた。寛政五年(1793年)今から220年前、佐伯郡御役所から郡内の割庄屋宛に馬酔木を使った害虫予防の文書が出されている。
「馬酔木の葉を、稲に虫が発生した時に刻んで稲田に入れたならば、直ちに虫は死失する。畠作物に虫が発生した時には、水に漬けておいた馬酔木の葉の汁をかければ虫は死ぬ。広島藩以外の海辺の村の百姓は、馬酔木の葉を蓄えておいて、虫が歩いて上がって田の中に入って稲虫になった時に、専ら使用しているので心得させるために申し聞かせる。組合や村々へ洩れのないようにこのことを触れておけ」と言うものであった。
文書に書いてある虫とは二化螟(にかめいちゅう)のことである。二化螟虫は、幼虫が茎の中に食入って稲を枯死させる害虫である。
今では農薬で駆除出来るが、昔は蛾を捕殺するか、蛾の卵を獲る、被害を受けた茎を切り取るなどしか駆除の方法は無かったらしい。
昭和初期には、田植え時期になると子ども達が午前中で授業を終えて、長さ三尺くらいの竹笹で稲をなで、飛び立つ蛾を捕らえ、葉に生みつけている卵を採り持参したビンなどに集める奉仕作業が行なわれていた。
馬酔木を農薬代わりに使用してどのくらい効果があったのかわ分からないが、昔の阿品の農家でも害虫には苦労していたのであろう。