素人が調べたもので誤りも多々在ろうかと思いますが、気のついた点はご指摘を頂き、古い資料や写真等があればご一報いただければ幸いです。


by hirosan_kimura

№496 小学校の遠足

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 この写真は昭和29年春に、地御前小学校の子どもたちが遠足で「チチヤス」に向かっている所である。

 地御前を離れて数十年、現在京都に住んでおられる方が偶然このブログを見られ、ネタ切れで困っていることを知って提供して頂いたものである。

 場所は鰆浜の観光道路で今は無い「火立岩」付近である。正面の山は沖山であるが、今では削られて殆ど面影は残っていない。右側の柱は広電の電柱。左側は鵯山(ひよどりやま)の法面である。

 中央は国道であるが当時は観光道路と呼んでいた。全面が白ぽっく見えるが、中央のみコンクリート舗装され両側が2mくらい土のままであった。

 この写真でも分かるように自動車は一台も見えず、たまに車が通過するくらいなので道路わきを子どもたちが手を繋いで歩いても危険ではなかった。

 今の子どもたちの遠足は何処に行っているのか良く分からないが、当時の地御前小学校の遠足は「速谷神社」「海老山」「桜尾城跡」「チチヤス」「大野の滝」「宮島」が定番であった。

 当然バスなどで行くのでなく一年生でも歩いて行くのが当たり前。宮島に行くときも桟橋までは歩いて行っていた。上の写真でも分かるように一年生は六年生の子と一人づつ手を繋いで行っていた。

 小学校から東方面に行く時は何とも思わなかったが、西方面に行く時は阿品から小学校に集合し、また引き返して家の前を通って行くので、阿品の子ども達は家の前で皆が来るのを待っていれば良いのにと思っていた。 その代わり帰りは阿品で解散させてもらえるので、地御前の子ども達は羨ましがっていた。

 当時の子どもたちからみれば、今の子どもたちの食べ物は毎日が大ご馳走に見える。当時の弁当は今の子どもたちから見れば貧しいものであるが、粗末な弁当でも日ごろ食べるものとは違うので弁当を食べるのが大きな楽しみであった。
by hirosan_kimura | 2012-10-16 10:37 | 幼小中 | Comments(0)