№495 地御前絵葉書
2012年 10月 10日

中央は地御前小学校の旧校舎である。昭和26年に入学した時はこの校舎であったが、4年生の頃新しい校舎に改築されたような記憶がある。手前には藁屋根の民家も見える。扇園周辺には建物が見当たらず、田んぼか畑ばかりである。

手前に藁屋根の民家も見える。かつての観音堂は小高い丘の上にあったが、今ではこの丘も削られてしまい平地にお堂がある。

地御前神社傍のJR踏切を渡ったあたりである。すぐ前には海の砂浜がある。小学校から家に帰る途中でこの大きな松に登って遊んだ思い出がある。右手は地御前神社の前辺りであるが、浜辺には小船が停泊しており、良くみると海には飛び込み台が見える。かつてはこのあたりは海水浴場で、夏になると広電の臨時停車場が設けられ、広島方面からたくさんの海水浴客が遊びに来ていた。

広電地御前電停前の国道沖で、今でも僅かに当時の面影が残っている。沙魚(ハゼ)

現在料亭が建っている辺りである。右側は沖山で、遠く微かに弊司岩が見える。

場所ははっきりしないが、岩礁が見えるので沖山の沖辺りであろう。

地御前神社の前。背景左側は沖山。右側に田屋の家並みが見える。

この写真は阿品に残る数少ない古い写真の一枚なので、今までも何回か紹介したものである。中央が火立岩。旧国道が海岸より僅かの高さしかないのが覗える。
by hirosan_kimura | 2012-10-10 13:19 | 写真 | Comments(2)

小生が育った家です。
大歳神社の手前あたりは「くぼん洞」と呼ばれていました。